神の目で観えるまでは認識。そっから先は認識できない世界?

  • 2015年07月03日
  • カテゴリ:真我

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【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.観自在の記載でも、横の観自在じゃないようなものもありまして。

世間の多くの人々から観られつつ、多くの人々を観、そして救う働きが自由自在であることをしめしていて、

それは根源的な叡智を体得した者の働きであると。

 

A. 縦の観自在を観たときに、横の観自在が自由自在になる。

 

Q.ここで言っているのは、佐藤康行のいう神自在に近いと思うのですが。

 

A. 神に目覚めたときに、横はすべて手の平にのっかっちゃう。

 

Q.突き詰めると、根源的叡智を得た者の働きであると。

これを読んだときに、以前お伺いした雲の上から振る杖のイメージだったんです。

 

A. それ、極致の認識だと思いますよ。私の言う。

 

Q.雲の上のお話も極致の認識と。私自身は実相のことを言っていると思っていました。

 

A. 極致の認識っていうのは、私たちが認識している一番頂点という意味。

認識とは関係ない世界があるわけ。この宇宙で、認めようが認めまいが。

認識とは一切関係ない世界があるわけ。だから、私たちは、いくら究極のことをやっても認識なわけ。

でも、認識とは別の世界がある。それを、私は、知る、信じる、有る、無い、在る。

在るは認識とは関係ないわけ。知ってますよね。

在るっていうのは、認識とは関係ないんです。

神の目で観えるまでは認識。そっから先は認識できない世界。

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運営者プロフィール

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「最高の人生を生きる 捨てる哲学 佐藤康行との対話」の管理人をしている橘 絹子です。
1999年4月より、医療関係の仕事の従事。
耐え難い体の痛みと人間関係に悩み、いろいろな治療やメンタルへのアプローチを試すが解決できず、人生も諦めかけていた。
そんな時、佐藤康行に出会う。
このブログを読んでいただくあなたにも、すべての難解と思われる問題に光を当てる方法があることをお伝えしたいと思います。