日別アーカイブ: 2015年8月8日

真理の天国は段々のぼる世界でなく、ボーンと飛び越える別世界?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.因縁が濃いほど、苦しいので、どこかに救いを求めたり。濃ければ濃いほど、真我の目覚めに近いと。

 

A. そう。泥沼が濃ければ、濃いほど、求める気持ちが強くなるじゃないですか。生きるか死ぬかなったときに、一番悟りやすい境地なんです。

それはすごくいい状況なんです。それほど苦しくない人は求めないじゃないですか。

海の中に潜って、苦しくなって、空気を求めるがごとく、命がかかっているほうが、天国に気づきやすいわけです。

だから、煩悩即菩提ともいう。煩悩の隣に菩提があるんですよと。

 

Q.余り曇りがない方は、真理に近いんですか?因縁が薄いほうがいいのかと?

 

A. いえ、真理に遠いんです。わかった、と思っている人のほうが遠いんです。

 

Q.どっちが幸せで、不幸せなのか、わからなくなってきますね。

 

A. そうです。苦しみがあった。それが治って、健康で何もない人よりも、健康のありがたさを感じとれますよね。

寂しい思いをしたことがある人のほうが、人のありがたみがわかりますよね。人を愛する気持ちが強くなったりする。

お腹が減ったときのほうが、食べ物の有難さがわかったりする。

 

Q.しかし、因縁が薄いのに、真理、天国に遠くなるのでしょうか?

 

A. 本当の天国は、段々いく世界じゃなくて、飛び越えなきゃいけない。ポーンと。だから、別世界だから。

我々が思う幸せの世界と、本当の天国の幸せは別世界なんです。延長線上ではないわけ。

延長線上にないから、飛び越すしかない。その飛び越すのは、この泥沼が激しければ、激しいほど、飛び越せれる。

それを彼岸っていうでしょ。仏教の言葉では。彼岸を渡る、ポーンと行けなきゃだめ。

 

Q.飛ぶチャンスが、泥沼が濃い人のほうが与えられている。

 

A. そう。電車が二本走っていて、左側が天国に向かっている電車だとして、我々が右側が天国に行く電車だと、思い込んでいる可能性がある。

思い込みの天国ではなくて、左側の本当の天国行きの電車に、ポーンと乗る。それを気づくための泥沼なわけ。