真我を自覚したときに、偽我で体感できる?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.真我開発講座で、深い愛を体感することがあると思うんですが、
それは自分が主体で感じているので、偽我なんですか?
どこまでいても、認識と実相の話になるならば、偽我なんでしょうか?
A.そうね。そうなんです。
「 真我を基にした偽我。」
「 真我を土台にした偽我。」
例えば、何かを食べようとするのを偽我。
でも、体は真我の動きで動いているように、常にこの両輪でやっている。
両方の作業をしている。
満月があって、三日月がでるわけなんです。
「 真我を自覚したときに、偽我で体感できる。」
Q.お~。そうなんですか。
体感があるということは偽我なんですね。
A.どこまでいっても、実相である真我は、そのものは体感できないわけ。
Q.そのものは体感できないんですね。
真我そのものを体感したいというのは、無理なんですね。
A.無理なの。
無理なんだけど、もう、自覚しているわけ。
自覚と体感とは違うわけ。
自覚と私が言っているのは、そのものの実体です。
お月様は真ん丸という実体があるでしょ。
見る距離によって違って見えるでしょ。
それはお月様の実体ではないわけ。
「 近づいて見る、離れて見る。」
「 違って見えるでしょ。」
「 それが体感だと思ってください。」
Q.それが、体感ですね。自覚は?
A.お月様は不動の真ん丸。
地球から見て、宇宙に浮いてあるわけです。
そうだと、いうことを自覚するのと、体感するのは違うわけ。
Q.自覚も五感で自覚するのかなと。
A.そうだね。何と表現するのがいいか…。
自覚はとったほうがいいね。
実相そのもの、真我そのものだと。
そのものと、体感は違うと言ったほうが、わかりやすいね。
Q.やっぱり、実相と認識の違いですね。
A.そうですね。