日別アーカイブ: 2015年11月11日

真我を自覚したときに、偽我で体感できる?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.真我開発講座で、深い愛を体感することがあると思うんですが、

それは自分が主体で感じているので、偽我なんですか?

 

どこまでいても、認識と実相の話になるならば、偽我なんでしょうか?

 

A.そうね。そうなんです。

 

「 真我を基にした偽我。」

 

「 真我を土台にした偽我。」

 

例えば、何かを食べようとするのを偽我。

でも、体は真我の動きで動いているように、常にこの両輪でやっている。

 

両方の作業をしている。

満月があって、三日月がでるわけなんです。

 

「 真我を自覚したときに、偽我で体感できる。」

 

Q.お~。そうなんですか。

体感があるということは偽我なんですね。

 

A.どこまでいっても、実相である真我は、そのものは体感できないわけ。

 

Q.そのものは体感できないんですね。

真我そのものを体感したいというのは、無理なんですね。

 

A.無理なの。

無理なんだけど、もう、自覚しているわけ。

 

自覚と体感とは違うわけ。

 

自覚と私が言っているのは、そのものの実体です。

 

お月様は真ん丸という実体があるでしょ。

見る距離によって違って見えるでしょ。

 

それはお月様の実体ではないわけ。

「 近づいて見る、離れて見る。」

 

「 違って見えるでしょ。」

「 それが体感だと思ってください。」

 

Q.それが、体感ですね。自覚は?

 

A.お月様は不動の真ん丸。

 

地球から見て、宇宙に浮いてあるわけです。

そうだと、いうことを自覚するのと、体感するのは違うわけ。

 

Q.自覚も五感で自覚するのかなと。

 

A.そうだね。何と表現するのがいいか…。

 

自覚はとったほうがいいね。

 

実相そのもの、真我そのものだと。

そのものと、体感は違うと言ったほうが、わかりやすいね。

 

Q.やっぱり、実相と認識の違いですね。

 

A.そうですね。