日別アーカイブ: 2015年11月13日

生老病死、愛別離苦を超越したといっても段階の世界?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.真我を追究するのに、すべて追い求めないとなると…。

 

A.何のためかってあるでしょ。

 

この世の中の、釈迦がいった、生老病死。

 

あれを解決したいじゃないですか。でしょ。

 

あれは、全部、偽我の世界なんです。

 

釈迦のいった、生老病死、愛別離苦。

あれをなんとかしようというのは、偽我を何とかしようとしている。

 

あれは、解決したでしょ。

生きる喜びを味わいたいね、老いるのを超越したいよね。

 

病気も、できたらないほうがいいね。

 

死も超越したいよね。

 

愛する人と別れることの悲しも、超越したいよね。

 

Q.はい。

 

A.だから、それでいいわけ。

 

Q.そのためには、真我なんだというのはわかるんですが。

 

アセンションも追い求めない、レベルを追い求めない、体感も追い求めないって伺うと、

このままでいいのかな、と思ってしまうのですが。

 

A.だから、生老病死、愛別離苦。完全にそれを超越して抜けたい。

 

それは、悪いことではないわけ。超越したいでしょ。

 

Q.もちろんです。でも、それは段階の世界なんでしょね。

 

A.そうです。いくら超越したといっても、段階の世界。そういうことです。

 

人間の脳の中で、脳そのものを、どこまでいっても作れないでしょ。

 

脳に近いようなロボットは作れるけど、脳そのものは作れないよね。

それと同じだと思ったらいい。

 

脳に近いものに近づくことはできるけど、

人間のもって生まれた脳そのものの、同じレベルはいかない。

 

百年後も、二百年後も。これからも。