日別アーカイブ: 2016年1月11日

佐藤康行のいう前提と神(み)えているについて③

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q. 佐藤康行がひとりでいるときの、神(み)えるってどんな感じですか?

 

A. 感じはないです。

 

ただ、神(み)えるだけ、わかる。

 

Q. それは、対する人がいなくても、神(み)えるってことですよね。

 

A. そういう見えるじゃない。

 

この神(み)えるだから。

 

絶対、想像できない。

 

Q. 言葉化は?

 

A. それは、考えられないです。

 

Q. それは、無理なんですね。

 

A. 説明ができない。

 

あとは、バンバン浮いてきますよ。

 

だから、私は、本を百五十冊書いている。

 

寝ている間にできた本がいっぱいありますよ。

 

Q. 言葉化できないものが、夢に出てきて。

 

A. そう。そういうことです。

 

映像で出てきたり、言葉化できない。

 

ひとりでいる時間とか、寝ている時間が、とても大事です。

 

Q. 言葉で表せられないけど、神じたり、神(み)えたりは、佐藤康行にはわかるんですよね。

 

A. そうね。

 

Q. それが、夢に出てきたりして、本になっていると。

 

A. そうね。神(み)えているから、毎日、一日一冊でも本出せる。

 

どんな頭のいい人でも無理でしょ。

 

神(み)えている…、例えば、この肉眼でいうなら、景色を絵にかいたり、文章にしたり、できるでしょ。

 

あそこに、照明があって、本棚あって。

 

ちょっと向きを変えたら、違う景色が。

 

またこっち向いたら、あっち向いたら景色違う。

 

だから、無限に書けるわけです、本は。

 

学問の知識は、頭に入っているものしか、書けないわけ。