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全体的に見れる能力を開発していないだけ?神鏡の法則と業を映す鏡?

ブログは朝(737分)にUPします。次回は10月29日(月)です。

 

過去の人気記事をUPしていきます。第5位!

 

橘.最初から頂上。神、宇宙の捉え方?

 

佐藤康行.だって、最初から地球は丸いじゃない。

 

段々丸いのに気づいていくっていうのは、本当は変なんです。

 

最初から、丸いんです。最初から、答えがあるわけです。

 

私たちのその認識が、徐々に山に登っていって、丸いのかなって思うのは、私たちの捉え方。

 

そういう捉え方があろうがなかろうが、最初から地球は真ん丸くて、つながっているわけです。

 

でしょ。そこがね、あの、佐藤康行の画期的な捉え方なんです。

 

それは、真我でなければそういう捉え方が出来ないわけです。

 

あとは、皆、階段的に成長的に見ちゃう。

 

橘.人間は、段階的にしか見えないような構造になっているんですか。

 

佐藤康行.簡単に言うと、構造になっているのではなくて、開発してないと言ったほうがいい。

 

私たちは、すでに、そういう能力あっても、開発していないと。

 

例えば、私たちの潜在能力は100のうち、3%~5%しか使っていないと。

 

それも、ね。本当は定かではない。0.3%かもしれない。もっと小さいかもしれない。

 

それは、私たちの、その3%の研究者が3%と言っているだけかもしれない。

 

3%の能力で、3%と言っているかもしれない。

 

私たちは、もっと偉大なものがある。

 

だから、そこのところで、もうすでに、そういう全体を捉える能力はありますよということです。

 

でも、ここはすごく大事だね。

 

ここが、正に、真我ならではの画期的なところです。

 

だから、鏡に映る姿は、神として映す鏡か、業を映す鏡かじゃ、違うわけ。