日別アーカイブ: 2019年7月23日

神⑬

ブログは朝(737分)にUPします。次回は7月26日(金)です。

 

Q.神の意にそうとは?佐藤先生は、神に、あなたのいう通りにしますと合唱して、という。

 

佐藤康行.まさに、それを、意にそおうとして、理解しようとして。

 

この瞬間でも。意にそうためには、きちんと理解しなきゃ、意にそえないでしょ。

 

上司の意にそうって。上司のことがわからなかったら、意にそえないでしょ。

 

だから、まず理解することから。それを今やっている。

 

Q.神が、すべてのすべてということで、神に意にそうとは、二元論的な。

 

佐藤康行.そうよ。私たちが、肉体ある限りは、二元論的にやるしかないでしょ。

 

でも、二元論だけど、一元論っていう絶対的なものを前提で、二元論をやるのは違うでしょ。

 

Q.肉体がある限りは、二元論でしか捉えられないっていう。

 

佐藤康行.たとえば、満月があるでしょ。

 

その満月の、事実の姿がある。それを一元だとする。

 

でも、そこに、私たちの目に、三日月に見える。

 

三日月があって、満月がある。

 

そこに時差があると、さっきから見ていたのは三日月だけど、満月だって言ったら、二元論になる。

 

でも、月の本当の姿は、ひとつしかない。

 

私たちの五感で、どう捉えようと。

 

Q.一元論的っていうのは?

 

佐藤康行.私たちの脳で捉えるものではないということ。

 

脳そのものも、神の顕れだから。

 

徹底的に、神だけやっているものは、ないじゃない。

 

Q.真我は神我と書いても神我。その我をとって、神だけっていう発想はどこから?

 

佐藤康行.もう、遠慮なくいくと。ただ、それだけ。

 

私自身も、肉体もった人間だから、何か守ろうと。

 

それも全部…真実だけ神ようということが可能かどうかも、楽しみです。