佐藤康行と野澤良治との対話②
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は12月9日㈮です!
Q.結局、なんか、いつも堂々巡りになっていて。
A.そうね、うん。嫌なことを、もっと、もっと出してみましょう。
戦争のドキュメンタリーとか見れる?
Q.ええ。
A.見ていて、何かくることある?
Q.まったく、こないときと、くるときがあります。むらがありますね。
A.戦争をした跡地とかに行ったことある?
Q.はい。
A.原爆ドーム記念館とか。
Q.そういうところは行っていないですね。東京自体が跡地ですからね。大空襲の。
A.焼け跡みたいなところには?
Q.関東大震災の記念館が、安田にありますね。
A.そういうところに行って、感じることはないですか?
Q.原爆の記念館には何度か行ったことがあるんです。
感じるときと、何にも感じないときがあるんです。
A.感じるときは、どんなときに感じるの?
Q.何をどうって、やっぱり上手く言えないんですよね。
ただ、何なんだろうな…。最近だと、バンコクツアーの後で、何か所かまわったときに、永瀬隆のこととか。
A.永瀬隆…
Q.陸軍の通訳で、ヘルファイヤーパスとか、泰緬鉄道の部隊の中にいて。
A.私とタイに行ったときの話?
Q.バンコクツアーの後に、ひとりでまわったんです。
A.そのときに、その名前が出てきたわけ?
Q.行く先々で、永瀬隆の碑があったんです。
A.そのとき、どういう風になりました?
Q.原爆などの記念館を見るときと似た感じがあります。
A.苦しいとか?
Q.苦しいですし、言いようのない…。
A.どういう言葉になるだろうね。寂しいとか、むなしいとか。
Q.そういうのとは違いますね。ぴったりした言葉はないですね。
ただ、行ったときは感じなかったんですけど、白骨街道の終着点に行って。
あのときは、そんなに感じなったんです。
でも、最近になって思い出すと、似たような気持ちになりますね。
A.思い出すだけで?
Q.はい。
A.言葉にできないかね?日本語に。英語でもいいし。
Q.何なんでしょう。
A.タイ語でもいいし。
Q.苦しいとか、むなしいとかも違いますね。
A.タイ語でもない?
Q.タイ語でも違いますね。
A.そういうのない?
Q.逆に、言えたらもっと早く、出せたような気がします。
A.ちょっと、それに近い言葉を探してみましょう。苦しい、悲しい、寂しい…
Q.むなしい…、希薄とか。
A.希薄ね。自分の力が及ばない悲しさっていうか。
自分ではどうにもならない、悲しさ、むなしさ。
Q.そういうの、あるかもしれません。
A.対象とするものがない。
あいつが憎いとか、そういうものはないと。
だから、むなしいし。
自分自身が冷たい人間だ、とかっていうのはある?
そういうのはどうですか、今聞いて。俺には何にもできない、無力っていうのはどう?
Q.無力とか、無能とか。あと、無価値とか。そういうのは、よく出てきますよね。
希薄っていうのは、よく幻覚が出てきたときに、幻覚だって思えば思うほど、自分の存在自体が希薄になっていく。
A.人間の本能の中で、自分の存在価値っていうのを知りたいというか、認めたいというか。
その存在価値がまさに、なくなった感じじゃないのかね。
Q.確かに、そういうのはあります。
A.俺は何のために生きているのか。
Q.それは、もう。何で生きているんだろうって。それはずっと。
A.存在価値だね。もし、存在価値がないとしたら、財産がないということですから。
もう、借金だらけだと思っている。
もし、自分の人生で、その借金を返していくようなエネルギーでやったら、何か違うような気はしない?
Q.何か、贖罪みたいなものが、すごくあります。
A.贖罪。
Q.罪を償っていくみたいな。そういうのは、ずっとありました。
A.今、それを言ったんですけどね。借金を返すような気持ちでやると。
Q.ずっと、そんなことをしている気がします。ずっと返せていないような。
A.そうだね。返済だね。
Q.利子ばっかり増えていって。
A.そういう感じなんだね。だんだん、恐怖になってくる。恐怖は感じる?
Q.ずいぶん、少なくはなってはいるんですが。
A.借金があって、どんどん利子が増えてくると、恐怖になってくるでしょう。
Q.そういうの、ありましたね。
A.あるね。