この世のすべてがわかったという瞬間があったから、何でも答えれる?

  • 2025年10月29日
  • カテゴリ:真我

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ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は11月1日です。

 

Q.佐藤康行は添乗員だというお話もありますが。

道の行き方を知っている、佐藤康行が太陽(真我)と雲(カルマ・認識)の前に立つと

雲が透明になるっていうことは、実相にいかれたのかと。

 

A. これは五感の捉え方ではないけど、確かにこの世のすべてがわかったという瞬間があったんです。

 

だから、何を聞かれてもすべて答えれる。それも、相当前ですけど、20数年前。

 

それも一瞬でおきたんです。

 

じゃ、何がわかったかというと、普通の学問的なわかったではないわけ。

 

私の本を、そういう目で見たらわかると思うんです。

 

何かの学問をもってきたものは、ほとんどないと思います。

 

何かそのもの自体の答えなわけです。どっかの学問をもってきたのは、ほとんどないんです。

 

Q.わかった、という瞬間は、五感じゃない何かが捉えている?

 

A. 五感じゃないし、第六感でもない。何かそういう感じだね。

 

Q.一回死んだんだけど、戻ってこられたというのに意味があると?

 

A. それと関係ありそうだね。

 

肉体もっているかぎりは、自分の肉体や精神が主体として、どうしても眼鏡を通してしか見れないから。

 

この眼鏡が肉体であり、考え方や心でしょ。

 

死んだっていうのは、この眼鏡が壊れて、肉体が壊れて、精神も壊れて、なくなった瞬間に眼鏡がはずれて、眼鏡はずれたほうがよく見える。

 

そういう感じ。これがわかったっていう感じ。

 

Q.でも、今肉体があるのに、佐藤康行が今できるんだっていうのは、なぜでしょうか?

 

A. 私は、人間にはそういう脳力があると思っている。

 

別に、私だけが特殊じゃなくて。皆、人間には能力あるんだと、そこからやって、ああいうセミナーができたんです。

 

私しかできないんだったら、無駄になっちゃうでしょ。

 

無駄なことやりたくないですね。

 

Q.能力はあるんだっていうところと、認識では捉えられないんだっていうところが、

いつもわかったようで、わからないところなんですよね。

 

A. そうだね。そこ突っ込んでくるところがいいよね。

 

わかったようで、わからないところ。