自分が自分を手術する?愛が素材だと殺すという判断は無に?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は4月26日㈬です!
Q.前回の、野澤さんの問題じゃないんです、佐藤康行の問題なんですと言った感じはどうでしょう。
そのお話のあと、よくわかった、やりますとおっしゃられていて。
A. 私が今手術をしている。
野澤さんが生き返るのも、死ぬのも百%私次第だとしたら、野澤さんの問題じゃないでしょ。
私の問題でしょ。
Q.そうですね。
A. ここで起きる出来事、そういう感じだと思います。
私のメスさばきで、この場で殺すことも出来るし、この場で生き返らせることも出来るし、それも何分、何秒で生き返らせる。
自由自在です。
この腕があれば、あるほど、一瞬のうちに生き返らせることも出来るという、捉え方。
もう、シュッと生き返らせる。ピッピッと。こういう感じ。
だから、私次第じゃないですか。
だって、自分では何も出来ないんだから。
ただ、横たわっているだけだから。
横たわっているだけで、動けない人を、その人の問題とは、言わないでしょ。
Q.言わないですね。まさに、手術台ですね。
佐藤先生が遠慮なく野澤さんを見つめ続けたら、野澤さんの叫び声がもっと大きくなるという予想なんですが。
A. どこかで、いつもブレーキがあるだろうね。
Q.佐藤先生が手術台に野澤さんが手術というとハテナとなるんです。
野澤さんが、佐藤先生を見るというと、それは野澤さんの問題になるのでしょうか?
A. スイッチが変わった瞬間に、私を手術しているんだけど、野澤が野澤を手術しているみたいになるだろうね。
Q.そういう意味なんですか?
A. 佐藤を手術しているようで、自分がどんどん治っていく。
Q.その臨界点は、佐藤先生が、野澤さんの底の底をいったときなんでしょうか?
A. 臨界点はないね。
だから、いつも、いつも、私は、この地球上に起きることは、全部私次第だと思っているんです。
いつも、何か、そう思っているんです。
ずーと、ずーと、三十年、そう思っているんです。
私のメスさばきで、生かすも殺すも出来るわけです。
だから、生かすも殺すも出来るから、優しくせざるおえないんです。
愛でやるしかないわけ。
生かすも殺すも出来るから。
でも、このメスは、全身が愛が素材でふるったときに、生かすことしか出来なくなるわけです。
愛が素材だから、殺すという判断は無になるわけです、ゼロになるわけ。
だから、そこで出る判断は、すべて、正しいわけです。