真我に目覚めること以外は対症療法?我で救おうとしている?

  • 2015年11月02日
  • カテゴリ:真我

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【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.神我、キリストの魂にふれなければ、本当に助けたことにはならないと。

 

A.例えば、泥沼の中であえいでいる人がいる。

 

実は、自分も泥沼の中であえいでいる。

 

「 その人を助けようと引き上げても、自分の足もとも泥沼だから、同じように泥沼なわけです。」

 

同じ泥沼の中の人が助けようとすると。

 

あくまでも、上からロープをたらして、上げればいいわけです。

 

そうすれば、その泥沼の中には、自分も相手もいないんです。

だから、もう、落ちる必要はないわけです。

 

Q.なるほど。自分の意識で助けようとすると、同じ泥沼に…。

 

A.そう。「 上は、まさに、真我に目覚めた人だと思ってください。」

 

「 下は自分の我の中で、相手を救おうとしている。」

 

Q.我の中で(驚)

 

A.どっちが救われても、おかしくないんです。

 

相手が大変だと思って救おうとしていても、逆さまになってもおかしくないわけ。

 

どっちが、どっちかなんて、似たり寄ったり、五十歩、百歩なんです。

目くそ、鼻くそなんです。

 

Q.お客様に対して、自分なりの最善でしていても、真我に目覚めるお手伝いはしていないわけで。

 

A.泥沼から手を差し伸べても、また泥沼に入って。

天に上げちゃったら、もう、泥沼はないわけ。

 

Q.泥沼で泥んこ遊びしているようなものなんですね。

 

A.対症療法としては、いろいろなことが必要なときもありますね。

ほとんどが対症療法。

 

Q.佐藤康行しか、真我の目覚めのお手伝いはしていないと思うので、

そういうことになるんですね。

 

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「最高の人生を生きる 捨てる哲学 佐藤康行との対話」の管理人をしている橘 絹子です。
1999年4月より、医療関係の仕事の従事。
耐え難い体の痛みと人間関係に悩み、いろいろな治療やメンタルへのアプローチを試すが解決できず、人生も諦めかけていた。
そんな時、佐藤康行に出会う。
このブログを読んでいただくあなたにも、すべての難解と思われる問題に光を当てる方法があることをお伝えしたいと思います。