動いていないのに、動いて見える?神から見れれば存続できる?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は4月19日です。
Q.神鏡で変化をすると、現実には動いているように見えるという表現がありますが、
本来は動かざる在しかないんだけど、自分の心のフィルムが変わり、
スクリーンに映る姿が変わったから、動いているように見えると捉えていいですか?
A.そういうことです。
現象が変化しているように見えている。
私たちの五感で捉える認識の世界で。
そこのところちょっとわかりづらいけど、真我心経である程度言っていますけど、H2Oはどんな状態でも変わっていないわけです。
雨でも雲でも。海でも川でも。それが、正に、在の世界なんです。
しかし、雨が川になったり、動物の体内に入ったり、霧になったり、雲になったりする。
H2Oは海になったときと雲になったときと、違って見えるでしょ。
それは私たちの認識で変わって見えるだけで。それに、海とか川とか雲とかって名前をつけただけなの。
私たちの目には違って見えるけど、H2Oは何も変わっていないわけ。
Q.H2Oは何も変わっていないで、在なんだ、ということは何となくわかるんですが、
人間が、人間を卒業するとなると、認識自体も、より客観的に見れるようになるんでしょうか?
A.客観的に見えるし、物事の捉え方が違うと、私たちの出る発想も違ってくるんです。
作るものも変わってくるわけ。
そして人対人の対応も違ってくるわけ。
人対いろんな生物との対応も違ってくるわけ。
その変わった部分でやると、じゃ、どういう風に変わるかっていうと、存続のほうに変わってくるわけ。
地球上のいろんな生物が住めないように変わっていくのと、存続して住るようになっていくのと、常に2種類私たちに与えられているわけ。
例えば、病気になったときに、どんどん進行してこの世から去る方向に向かっていくのと、治っていっていずれ消えていくのと、
2つの力が常に働いているわけ。
どちらの力のほうに向かっていくか。
私たちがどちらの意識にのっていくかで違ってくるわけ。