神鏡ができるのは神の証明?佐藤康行が動じないのはなぜか?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は8月29日㈪です!
Q.神鏡ができるということは、神を証明していることになりますか?
A.うーん。そうね。そういうことだね。
Q.神鏡ができるということは、自分の神が相手に映るんだから…
A.相手の神も自分に映っているから、神同士が反射しあって、偽我が消えていく。
どっちが先でもいいわけ。同じだから。
Q.佐藤康行の面談では、佐藤康行が相手の神を神て、動じないで、神しか神ないということで、
相手が、あ、そうなのかなとなったときに神が顕現するというか。
A.そうね。それで、いいんじゃないですか。
Q.佐藤康行は動じない、動じるわけがない、ぶれないという表現がありますが、なぜ、動じないんでしょうか?
A.わかりません。
Q.え、そうなんですか。
A.動じない自分にたどり着いたんだろうね。
Q.それは、三十年前の「わかった」のときですか?
A.はっと気がついたんだろうね。
この真我を本職でやっていることが一番大きいんだろうね。
Q.動じない、ぶれない…。
A.動いているものを、動きを正しく神るには、止まってなきゃ神えないじゃないですか。
そういう意味です。
Q.あっ、そうですね。動いているものは、人間の心でしょうか。
A.そうね。
Q.ということは、一瞬、人間心はない?
A.人間心あるでしょうね。
あるから、動じないという言葉も使えるんでしょうね。
Q.人間心がありながらも、動じないというのは。
A.動じるでしょうね、たぶんね。
動じないという自分を認めていかなければ、動じると認めるから動じるんじゃないですか。
Q.佐藤康行は動じない自分を認めているから動じない?
心は一番動くものですかね?
A.心は秒単位で動くからね。
Q.佐藤康行にも、もちろん心はあるのだけど、動じないから動いているものがわかる?
A.食べ物を食べて、おいしいとかまずいとかわかるのは、動じているんじゃないですか?
Q.佐藤康行が人間の興味あるものに、あまり興味がないように見えるときもあるんですよね。
A.普通の人間ですよ。
Q.普通の人間なのに、なぜ動じないんでしょうか?
A.動じないって言っているから、動じない。
動じてますよ、とも言っているじゃないですか。
Q.あなたは真我そのものだ、というところから動じたら、相手に巻き込まれるとも。
腰を据えて向かうときもあるとも。
動じないことを意識されることも?
A.全然、意識なんてしないですよ。
だって、真我は動じないんです。
満月は動じないんです。
三日月は常に、動いたりしているんです。
小さくなったり、大きくなったり、半月になったり。
動じないと言っているのは満月ですよ、と言っている。
それが、動じないという意味。
私は満月ですよ、あなたも満月ですよということから動じない。
Q.私は満月ですよ、あなたも満月ですよということだけ、動じないと理解していいですか?
A.ん?
Q.私も真我、あなたも真我ということだけ、動じないと?
そのテーマだけ動じないんですか?
A.このテーマ以外ないから。これが百パーセントだから。
Q.真我以外のテーマはない。
A.真我以外のテーマはない。
Q.でも佐藤康行も人間だから、動じるときもある?
A.それを認めるか、認めないか、満月を認めるか、三日月を認めるかの違い。
Q.わからないところがあるのですが、佐藤康行も人間なので心があるので動じると。
A.動じますよ。ここで、誰かが刃物持ってきたら、動じますよ。
Q.動じますよね。刃物を持ってきた人がいても、その人も真我だということには動じないということですか?
A.そういうことです。
Q.真我以外のテーマはないと。
A.それ以外ないです。