宇宙そのもの、究極の在は記憶ではない?

  • 2025年05月07日
  • カテゴリ:真我

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ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は5月10日です。

 

Q.宇宙の営みの記憶と、宇宙そのものとの違いは?

 

A. 宇宙という言葉をつかっているけど、

 

宇宙の営みの記憶と、宇宙そのものとは違うんです。字は同じだけど。

 

Q.これは。(驚)

 

A. これは深いね。

 

でも、私には手にとるようにわかっているんです。

 

水の歴史があるじゃないですか。

 

何億年前からもH2Oなわけです。

 

何億年前の水であろうが、一滴の水であろうが、海の水であろうが同じなんです。

 

その歴史は。そういうことです。

 

Q.宇宙そのものというと、そちらのほうが本家本元のように聞こえますが。

 

A. そうね。全然違うものと捉えています。

 

宇宙に変わる言葉がないから、宇宙イコール神と言っていますから。

 

あえて言うなら、宇宙の記憶と宇宙そのもの。

 

Q.宇宙の営みとは、例えば太陽があって、地球を照らしています、というような営みですか?

 

A. そうね。宇宙の中に物語があるわけです。

 

いろんな物語が。それが記憶なんです。

 

Q.宇宙そのものに記憶はない?

 

A. アカシックレコードという言葉にこだわると、そうなります。

 

アカシックレコードという言葉も人間が作った言葉ですから。

 

皆、地球の誕生からの記憶とか宇宙の記憶っていう。

 

としたら、本当の在は記憶じゃないですよと。