佐藤康行の講話中の遠慮は?他のものとの大きな違いは?
- 2024年09月07日
- カテゴリ:真我
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Q.ブッタは悟った後すぐ教えを説かなかったということは、説法に対する躊躇があったようです。
理由は悟った内容が一般の人たちには理解が難しかったと考えたからだそうです。
佐藤康行が講話中に、これは言っても伝わらないかもという遠慮に似ているように感じますが?
A.私は、ほとんどね、見てわかる通り、説法はしていないはずです。何かを教えを説いたりしていない。
なぜならば、真我っていうのは、あなたの中にあるものだから。
あなたは元々真我であるということだけです。教えとすれば、そこなんです。
もし、仏教で言うなら、仏教も色々文字が書いてあるじゃないですか。
あれは、あくまでも確かに理論かもしれないけど、一番言いたいのは、ただ、一つのはずなんです。
それは、仏心、仏の心、仏界はあなたの中にもありますよ、ということなんです。
私はそれを一貫して、それを体感させ、体得、体現させているんです。
そういうことです。だから、私ほとんど、教えていないんです。何も。
Q.やはり、そこが大きな違いなんですね。真我を引き出す方法をあみ出したことが、他との大きな違い?
A.そうです。