神の顕現を見ると、幸せな気持ちになる?

  • 2025年06月14日
  • カテゴリ:真我

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ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は6月18日です。

 

Q.佐藤康行が、問題をいろいろ抱えて大変な方に全身全霊でやることと、

力を出し切ることについて教えてください。

 

A. 私はね、今まで、過去の面談も含め、断ったことないんです。一回も。

 

倒れる前は、全部受けてたっていた。

 

霊に取りつかれているようなとか、医者や霊能者でも無理だし、

 

この世の地球上にあるものではどうしようもないわけです。

 

当然私のところに来たということは、私しかできないと。

 

だから、私が断らないかっていうと、佐藤康行がやっているんじゃないと思っているから。

 

神がやっていると捉えている。

 

佐藤康行を通して神がやっていると思っているから。

 

神の前に立って門前払いをする権利はないと。

 

だって、やるのは神だから。

 

その人の神だから。

 

私が自分で制限を決めて、この人はいい、ダメとかいうのは。

 

だったら、こういう仕事やっちゃいけないんです。

 

だから、私は全部引き受けているんです。

 

神がやっているから。私は操り人形だから、神の。

 

そういう意味で、難しい人ほど神が顕現するのに、人間では無理なことを。

 

それが神を感じることができるから楽しいわけ。

 

だから、幸せな気持ちになる。

 

Q.神を感じることができるからですね。

 

A. 人間智は、人間がやっているんだから、そんなに神の神秘さは感じないわけ。

 

だから、難しい人ほど歓迎していたのは、そういうことです。

 

私がやるんじゃないから。

 

私の過去の経験の積み重ねの技術でやるわけじゃないから。

 

正に経験が邪魔なんです。

 

経験したことがないような人もいるわけです。

 

だって、皆そうなわけです。

 

同じ人いないんだから。

 

常に私は、実相からずらさない。