修行は、頑張ることで仏になれると思い込んでいる?

  • 2019年02月17日
  • カテゴリ:真我

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ブログは朝(737分)にUPします。次回は2月20日(水)です。

 

橘. 即身仏について質問です。

 

肉体を極限まで苦しめて悟りを開こうということで、飲まず食わずで即身仏になる修行をするらしいですが、学長はビジネスの世界でやってる時に、相当苦しい……。

 

佐藤康行. その質問の中に全部間違いも入ってるわけ。

 

なぜならば即身成仏って、即っていうのはこのまま成仏してるんです。

 

成仏してるのに成仏する努力をするのは変でしょう? 

 

心臓がもう動いてるのに、「これから心臓を動かす努力をするんだ、修行をするんだ、水をかぶるんだ」でしょう? 

 

即身成仏だから、この身このままで成仏してるということ。

 

最初から成仏してると。それに気づいてないだけだ。

 

それに修行すればするほど分からなくなってくる。当然のことでしょう? 

 

頑張ることが仏になれると思い込んでる。

 

それは宗教的な部分ですけど、これは全部そうだと思ってください。

 

全てのこの部分が、みんなそういうことなの。

 

人間の頭じゃ解決できませんよと。

 

最初から悟ってるんです。

 

そのことに気づくんです。

 

最初から即身仏になってるんです。

 

最初から神なんです。最初から真我なんです。

 

真我になるための修行をするというのは、そのこと自体が間違っているわけ。

 

それは山に登る発想なの。

 

悟ってるのを今度、「真我の実践」と。

 

悟ってるのを、現世のいろんな問題を解決するもとにする。

 

悟ってることを先にやる。

 

でも、何を悟ってるか分からない。

 

それを「真我の実践、真我の実践」と唱えていった時に、自然と消えていくわけです。いろいろ偽我が。

 

橘.そこで、肉体と精神の苦しみが究極になった時に、

学長もパタパタと心の扉が開いたということがあったようなのですが、

そういう苦しみは味わわなくてもいいということでしょうか。

 

佐藤康行.味わわなくていいなら、それに越したことはないし。

 

でも、どっちがいいかなんていうのは、同じ人はいませんから。

 

七十億人地球上にいたら、全員性格も違うし、状況も違うし、気づき方も違うでしょう?