問答は論文、神鏡は手術であり、究極の職人技


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ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は1月23日㈫です。
Q.佐藤先生を極めるということも目的に、この問答もスタートしたんです。

問答の深さが高さになるのか、真我での現象面の変化を見ることの自分発見と、

何か違いがあるのかなと。

 

A. 質問を極めるってことね。

 

Q.ソクラテスの問答のことで、ご質問させていただいたときも、

相手の質問の深さに合わせて答えるから、そのことが自分発見と。

 

今まで、私にとって、極めることというと、問答だったんですね。

真我での現象面の変化を見ての自分発見は、最近聞いたかなと。

 

A. 医療でいうと、論文と手術がある。

今、論文をやっているわけ。

 

Q.問答ですね。

 

A. 問答が。手術は、実際にやって試してみている。

 

Q.佐藤先生にとって、論文と手術は、自分を極めることに関しては、同じなんですか?

 

A. 論文かどうかは別として、世界的に、誰にでもできるようにするというのが、

理論づけて、手法も全部教えてあげて。

 

そうすると、世界的なものにできるじゃないですか。

 

手術っていうのは、職人技みたいなもので。

 

自分しかできないという部分があるじゃないですか。

 

職人技でいくか、それとも世界的に広めるものにするか。

もちろん、両面だけどね。

 

Q.問答をすることでの自分の進化で、職人技は変わってくるんでしょうか?

 

A. そうね。職人技でも、ミシュラン級のコックさんがいるお店で、

すばらしくおいしくて、香りもよくっていったら、

 

当然、それと同じようなことができたとしたら、同じ料理ができてもおかしくないと。

 

まさに、レシピがあって、レシピ通りやって、そして微妙なさじ加減とか、

微妙な温度差とか、そういうのさえも、全部レシピにできたとしたら、

 

私は、素人が、ミシュランのコックさんのように作ってもおかしくないと思う。

 

また、それが広がるコツだと思います。

 

技は見せたくないだろうけど、教えたくないだろうけど、

でもそれじゃ大きく広がらない。

 

常に、その、はざまっていうのがあるわけ。

 

Q.佐藤先生、その、はざま、あったんですね。

 

A. あったよ。

 

はじめ、私はこのセミナー、誰にもやらせなかったよ。

倒れたから、しょうがなかったから。

 

Q.そうなんですね。

 

A. 究極の職人だったんだよ。

こちらに関しては。

 

レストランでは、とっくに卒業したはずだったのに、こっちでは、究極の職人だった。

 

神から預かったのは、佐藤康行ただ一人なんだから、教えるっていうのは、

私の意思でやることじゃないと。

 

誰にも教えなかった。

 

やらせなかった、触らせなかったんです。

 

Q.そうですか。