自分の中の神の心を認めなければ、それは現れない

  • 2019年03月22日
  • カテゴリ:真我

いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
一人でも多くの方のお役に立つためにランキングに参加中です。
下記のバナー2つをそれぞれクリックすることで、素晴らしい自分に気づかれる方が増えます。
下記のバナーを今すぐクリック!
   ↓  ↓  ↓  ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

 

ブログは朝(737分)にUPします。次回は3月25日(月)です。

 

橘.ある本に、健康がありがたいのではなくて、健康を現すような実相を、自分がもっていることがありがたいと書いてあったんですが、

感謝とは、実相に感謝するということなのでしょうか?

 

佐藤康行.実相と真我は同じと思ったらいい。

 

でも、わからないですよね。

 

自分の中にある、神の心、仏の心、宇宙の心があって、それを認めなきゃそれは現れないわけ。

 

自分にありがとう、周りの人にありがとう、すべてのありがとうという気持ちになったときに、

 

ありがとうって、受け止めたっていう証拠でもあるわけ。

 

そういうことです。

 

橘.他の表現で、自分と神とが一体であることのありがたさにならなければ、本当ではないと書いているものもありまして、これはいかがでしょうか?

 

佐藤康行.その一体というのをどうやって感じるか、ですね。

 

頭で感じたってそれは一体じゃない。

 

本当に一体になったら、まさに、自分が透明になっていくっていうか。

 

まさに、神そのものだと。

 

一体というよりも、もともと一体だと。

 

もともと一体であることに気づくことであって。

 

一体になるんじゃないんです。

 

皆さんが、人間になる努力いらないでしょ。

 

だって、人間だから。それと同じ。

 

男である努力、女である努力いらないでしょ。

 

もともと、男であり、もともと女だから。

 

そういうことです。

 

その表現が、かなり大事なところです。