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崖から落ちそうになったとき、真我につかまれば助かる?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は8月20日㈯です!

 

Q.佐藤康行が書く図の中に、偽我の自分の後ろに真我があって、相手も偽我と真我があるものがありますが、

自分が相手の真我が見えたときに、初めて、相手の神が反射して、自分の神が出てくる?

 

A.見えることはないんです。

真我そのものですから。

 

真我として相手にすればいいだけで。

だから、偽我そのものはないから。

偽我だから、偽はないんです。

 

だから、お月さん、満月しか相手にしない。

この偽我は三日月なんです。

三日月を相手にしない。

 

三日月を、きれいだな、いいな、とやっていると三日月がくっきり、自分の脳に浮いてくるだけです。

お月さんってどんな方って後から聞かれたら、きっと三日月の形を描くでしょう。

 

お月さんは真ん丸です。

 

Q.紙に向かって、完璧、神だという前提で書いているときに、極致の認識が出ると、

私は「はっー」となるんですね。

 

言葉の表現で合っているかわからないんですが、相手の神が見えたと。

 

A.見えたと言ってもいいかもしれませんね。

自分の中の認識で見えたと。

 

Q.そうだったのか、という驚きと感動と喜びとというような。

以前このことを伺ったときに、真我が開いたから、極致の認識を連れてきたと。

 

真我開発講座で、極致の認識に気づいているんじゃないですか?

と質問したときに、真我が極致の認識を連れてきたんだと。

 

A.その通りです。

 

Q.そのときは、相手の真我と自分の真我が反射し合うと考えていいですか?

 

A.偽我が消えていく段階ですよと。

 

Q.相手の偽我、自分が相手の三日月と思っているところまで含めて、自分なんでしょうか?

 

A.偽我だから、自分じゃないんです。

 

Q.偽我の自分なんでしょうか?

 

A.偽我のね。

偽我の自分。

自分の思い込んでいる自分。

 

Q.相手の嫌なところだと気になっているところもひっくるめて、自分の偽我になっているんでしょうか?

 

A.真我はいつでも真我。偽我はあくまでも、この脳の中で思っているのが偽我。

真我はすべてのすべて。

 

Q.相手はこんな人と思っている部分も含めて、自分の偽我と思っていいですか?

 

A.それでいいんじゃないですか。

真我対真我になったときに、この偽我は消えていく。

 

Q.真我対真我になって、全部真我になるのは、今のところ真我開発がそれをやっていると。

 

A.真我開発ではそれをやっています。

味わえるか、味わえないかはその人次第というところはありますね。

 

Q.その人次第は、受講姿勢と…

 

A.あるね。状況、環境。

死ぬほど苦しかったら、一生懸命やるでしょ。

 

今、崖から落ちそうで死ぬとなって、これにつかまったら助かると。

それがはっきりわかったら、命がけでつかむでしょ。

 

それが真我だと思ったらいい。

 

崖から落ちそうなら、命がけじゃないですか。

 

Q.真剣度合が

 

A.真剣度合はいろいろあるけど、そういう人が真剣であろうと捉えているんです。

真剣にならざるを得ない環境だと。

 

Q.ガンで余命を宣告されていたり、崖から落ちそうなほど深刻な状況な方はその環境だと。

 

A.そういうことです。

 

Q.頭で考えやすい人、ロジカルな人は時間かかるとかありますか?

 

A.かかるね。時間かかるというより、頭の中での答えを出すから、本当の答えじゃないわけ。

頭を越している答えがあるわけ。

 

あくまでも、頭の中の答えは、頭の中に入っているものでしか考えられないわけ。

 

Q.頭から出た答えなのか、そうじゃないのか佐藤康行はすぐわかると思うのですが、

本人はわからない可能性があるのかなと。

 

A.あるね。

 

Q.それはしょうがないのでしょうか?

 

A.しょうがないね。