真我のレシピを作るために、論文と手術が必要?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は1月20日㈯です。
Q.佐藤先生を極めるということも目的に、この問答もスタートしたんです。
問答の深さが高さになるのか、真我での現象面の変化を見ることの自分発見と、何か違いがあるのかなと。
A. 質問を極めるってことね。
Q.ソクラテスの問答のことで、ご質問させていただいたときも、
相手の質問の深さに合わせて答えるから、そのことが自分発見と。
今まで、私にとって、極めることというと、問答だったんですね。
真我での現象面の変化を見ての自分発見は、最近聞いたかなと。
A. 医療でいうと、論文と手術がある。今、論文をやっているわけ。
Q.問答ですね。
A. 問答が。手術は、実際にやって試してみている。
Q.佐藤先生にとって、論文と手術は、自分を極めることに関しては、同じなんですか?
A. 論文かどうかは別として、世界的に、誰にでもできるようにするというのが、
理論づけて、手法も全部教えてあげて。
そうすると、世界的なものにできるじゃないですか。
手術っていうのは、職人技みたいなもので。
自分しかできないという部分があるじゃないですか。
職人技でいくか、それとも世界的に広めるものにするか。
もちろん、両面だけどね。
Q.問答をすることでの自分の進化で、職人技は変わってくるんでしょうか?
A. そうね。職人技でも、ミシュラン級のコックさんがいるお店で、
すばらしくおいしくて、香りもよくっていったら、
当然、それと同じようなことができたとしたら、同じ料理ができてもおかしくないと。
まさに、レシピがあって、レシピ通りやって、そして微妙なさじ加減とか、
微妙な温度差とか、そういうのさえも、全部レシピにできたとしたら、
私は、素人が、ミシュランのコックさんのように作ってもおかしくないと思う。
また、それが広がるコツだと思います。