この世のすべてがわかったという瞬間があったから、何でも答えれる?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は11月1日です。
Q.佐藤康行は添乗員だというお話もありますが。
道の行き方を知っている、佐藤康行が太陽(真我)と雲(カルマ・認識)の前に立つと
雲が透明になるっていうことは、実相にいかれたのかと。
A. これは五感の捉え方ではないけど、確かにこの世のすべてがわかったという瞬間があったんです。
だから、何を聞かれてもすべて答えれる。それも、相当前ですけど、20数年前。
それも一瞬でおきたんです。
じゃ、何がわかったかというと、普通の学問的なわかったではないわけ。
私の本を、そういう目で見たらわかると思うんです。
何かの学問をもってきたものは、ほとんどないと思います。
何かそのもの自体の答えなわけです。どっかの学問をもってきたのは、ほとんどないんです。
Q.わかった、という瞬間は、五感じゃない何かが捉えている?
A. 五感じゃないし、第六感でもない。何かそういう感じだね。
Q.一回死んだんだけど、戻ってこられたというのに意味があると?
A. それと関係ありそうだね。
肉体もっているかぎりは、自分の肉体や精神が主体として、どうしても眼鏡を通してしか見れないから。
この眼鏡が肉体であり、考え方や心でしょ。
死んだっていうのは、この眼鏡が壊れて、肉体が壊れて、精神も壊れて、なくなった瞬間に眼鏡がはずれて、眼鏡はずれたほうがよく見える。
そういう感じ。これがわかったっていう感じ。
Q.でも、今肉体があるのに、佐藤康行が今できるんだっていうのは、なぜでしょうか?
A. 私は、人間にはそういう脳力があると思っている。
別に、私だけが特殊じゃなくて。皆、人間には能力あるんだと、そこからやって、ああいうセミナーができたんです。
私しかできないんだったら、無駄になっちゃうでしょ。
無駄なことやりたくないですね。
Q.能力はあるんだっていうところと、認識では捉えられないんだっていうところが、
いつもわかったようで、わからないところなんですよね。
A. そうだね。そこ突っ込んでくるところがいいよね。
わかったようで、わからないところ。




