ある臨死体験者との対話②主体を神におくのか認識からでいくのか?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は11月12日です。
Q.佐藤先生の言う、存在っていうのは光の存在?
A. そうです。動かざるもの。最初から最後まで普遍のもの。
すべての時間を超越し、空間を超越し、最初から人間の思念も超越し、何もない、最初からある世界です。
Q.自分は戻ろうと選択して戻ってきたんですけど、伝えていることが、皆さんにわかってもらっていないような印象を受けます。
体感もしてもらっていないと。
A. わかってもらえなくて、いいんじゃないですか?体感をしてもらわなくても。
Q.私が喜びで生きれば、世界的に広がっていくというビジョンもあるのですが。
私だけが、これをわかっているのでいいんでしょうか?
A. あなたが見ている、ある一部の世界ですから。
そのことが、皆がわからなくても、どちらでもいい世界。
何も最初から変わっていないと。
Q.どこか、変えようとしていたのかもしれないですね。
A. 主体をどちらにおくかですね。主体を、こちらからいくのか、
それとも存在を主体にするのか、認識を主体にするのか、存在を主体にするのか。
Q.私がもっと、存在を主体にすれば。
A. そういうことです。主体そのものを、前提と捉えたときに、認識が変わってくるわけ。
このものはこうだって、認識をすると、固定化してしまう。固定化して、そこから変化がなくなる。
固定化しない、存在そのものを認めたときに、固定化したものが、無限に変化する。
これをアセンションと言ったり、認識と言ったりするじゃない。




