神からきて、神にかえる、最初から神そのもの?

  • 2015年07月19日
  • カテゴリ:真我

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【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.極致の認識の説明を入れるとわかりやすいなと思いまして。私たちは新幹線に乗っていますよね(横の世界)。

新幹線に乗りながら、天を観るということをしますよね。素通しから観たら、何もないわけなんですが、

お父さんの愛、お母さんの愛、教えてくれる愛だったんだという気づきは、極致の認識なんだと思うんですね。

マジックミラーで観たら、何もないと思うので、完璧ポストでやるのも極致の認識で、

真我開発講座で真我が開いた瞬間も極致の認識で、その景色を味わえるのは、実相が存在するからなんだという理解でいいですか?

 

A. その表現なら、いいと思います。小さな窓から空を見上げたときに、空を指さして宇宙ともいうじゃない。

ロケットに乗って宇宙空間にいっても宇宙っていうじゃない。

それは、人間が見た、認識の宇宙であって、それとは関係ない宇宙があるわけ。

だから、捉えた部分で間違いないですか?と言われれば、間違いないとも言えるし、間違いだとも言える。

確かに、指さしている方向は宇宙だけど、下を指しても宇宙だけど、あなたを指さしても宇宙だけど、

宇宙には変わらないけど、それは、窓から見た宇宙にすぎないわけです。

 

Q.私は、実相にいかないと、つまらないと思っていたんですけど、五感があるから、楽しめることがあるんですね。

自分の極致の認識で感動したりしているんですよね。

 

A. 景色をぜひ味わってくださいと。神秘体験もぜひ味わってください。

でも、それもすべて一部ですよと。また、それを目指していくんじゃないですよと。

それは、窓から見た一部の景色を追っかけるみたいなもので。

 

Q.追いかけるという言葉でいくと、自分も神、相手も神、すべて神ということを知ればいいと。

神だけ追いかければいいのでしょうか?真ん中からずらさないとは?

 

A. 言葉でどう表現するか、ということですね。神だけを追っかけるものでもない。なぜならもう神だから。

すでに、存在している、すべに永遠であり、無限であり、すでに久遠であり、すべてがすべてだから。

だから、追っかけるものではない。そのものだから。人間が人間を追っかけるものではない。

宇宙は宇宙を追っかけるものではない。宇宙はすでに存在しているわけ。

 

Q.じゃ、一言で、ここでやっていることを表現すると、一瞬でも極致の認識、神の意識に一番近いものを垣間見るためでしょうか?

 

A. 新幹線で、途中で降りても構わないし、どっかで好きな所で降りても構わないし。

なぜならば、宇宙が目的だとしたら、そこも宇宙だから。もう、目的にいっているわけです。

どこも、本当はいかなくてもいいわけです。いっても、いかなくても宇宙なわけです。

 

Q.このままでいいのに、真我を追究しているのが、イリュージョンの世界のような感じに思ってしまうのですが。

泥沼であっても宇宙にいるんですよね。

 

A. 天国の中の泥沼、泥沼の中の天国って表現している。

 

Q.泥沼にいるように感じているが、天国にいると目覚めるために一つはやっていると?

 

A. 正しくいうなら、相対は絶対なんです。

 

Q.相対があって、絶対に気づくというお話もありましたね。

 

A. 相対と絶対をわけているけど、相対が絶対なんですよと。

 

Q.では、私たちは五感があって、捉えられないから、こちらに来ているんでしょうか?

 

A. 神が愛としたら、私たちは物事を認識できる。物事を相対的に捉えることで、気づくことあるじゃない。

泥沼に落ちたときに、天国の素晴らしさがわかる。ということは、泥沼は天国になる。

 

Q.それに目覚めるために、私たちは来ているんでしょうか?

 

A. それに目覚めるっていうではなくて、まさに神に目覚める。神からきて、神にかえる、最初から神そのものと。

どんなものに変身しようが。橘さんが、どんな服を着ていても、橘さん。今日は、どんなファッションがいいかしらと。それもいいでしょ。

でも、パジャマ姿もいいでしょ。どんな姿もいいでしょ。どんな姿でも橘さんですよ、ということです。

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「最高の人生を生きる 捨てる哲学 佐藤康行との対話」の管理人をしている橘 絹子です。
1999年4月より、医療関係の仕事の従事。
耐え難い体の痛みと人間関係に悩み、いろいろな治療やメンタルへのアプローチを試すが解決できず、人生も諦めかけていた。
そんな時、佐藤康行に出会う。
このブログを読んでいただくあなたにも、すべての難解と思われる問題に光を当てる方法があることをお伝えしたいと思います。