カテゴリー: 真我

神からきて、神にかえる、最初から神そのもの?

ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は2月7日です。

 

Q.極致の認識の説明を入れるとわかりやすいなと思いまして。私たちは新幹線に乗っていますよね(横の世界)。

 

新幹線に乗りながら、天を観るということをしますよね。素通しから観たら、何もないわけなんですが、

お父さんの愛、お母さんの愛、教えてくれる愛だったんだという気づきは、極致の認識なんだと思うんですね。

 

マジックミラーで観たら、何もないと思うので、完璧ポストでやるのも極致の認識で、

真我開発講座で真我が開いた瞬間も極致の認識で、その景色を味わえるのは、実相が存在するからなんだという理解でいいですか?

 

A. その表現なら、いいと思います。

 

小さな窓から空を見上げたときに、空を指さして宇宙ともいうじゃない。

 

ロケットに乗って宇宙空間にいっても宇宙っていうじゃない。

 

それは、人間が見た、認識の宇宙であって、それとは関係ない宇宙があるわけ。

 

だから、捉えた部分で間違いないですか?と言われれば、間違いないとも言えるし、間違いだとも言える。

 

確かに、指さしている方向は宇宙だけど、下を指しても宇宙だけど、あなたを指さしても宇宙だけど、

 

宇宙には変わらないけど、それは、窓から見た宇宙にすぎないわけです。

 

Q.私は、実相にいかないと、つまらないと思っていたんですけど、五感があるから、楽しめることがあるんですね。

自分の極致の認識で感動したりしているんですよね。

 

A. 景色をぜひ味わってくださいと。神秘体験もぜひ味わってください。

 

でも、それもすべて一部ですよと。また、それを目指していくんじゃないですよと。

 

それは、窓から見た一部の景色を追っかけるみたいなもので。

 

Q.追いかけるという言葉でいくと、自分も神、相手も神、すべて神ということを知ればいいと。

神だけ追いかければいいのでしょうか?真ん中からずらさないとは?

 

A. 言葉でどう表現するか、ということですね。神だけを追っかけるものでもない。なぜならもう神だから。

 

すでに、存在している、すべに永遠であり、無限であり、すでに久遠であり、すべてがすべてだから。

 

だから、追っかけるものではない。そのものだから。人間が人間を追っかけるものではない。

 

宇宙は宇宙を追っかけるものではない。宇宙はすでに存在しているわけ。

 

Q.じゃ、一言で、ここでやっていることを表現すると、一瞬でも極致の認識、神の意識に一番近いものを垣間見るためでしょうか?

 

A. 新幹線で、途中で降りても構わないし、どっかで好きな所で降りても構わないし。

 

なぜならば、宇宙が目的だとしたら、そこも宇宙だから。もう、目的にいっているわけです。

 

どこも、本当はいかなくてもいいわけです。いっても、いかなくても宇宙なわけです。

 

Q.このままでいいのに、真我を追究しているのが、イリュージョンの世界のような感じに思ってしまうのですが。

泥沼であっても宇宙にいるんですよね。

 

A. 天国の中の泥沼、泥沼の中の天国って表現している。

 

Q.泥沼にいるように感じているが、天国にいると目覚めるために一つはやっていると?

 

A. 正しくいうなら、相対は絶対なんです。

 

Q.相対があって、絶対に気づくというお話もありましたね。

 

A. 相対と絶対をわけているけど、相対が絶対なんですよと。

 

Q.では、私たちは五感があって、捉えられないから、こちらに来ているんでしょうか?

 

A. 神が愛としたら、私たちは物事を認識できる。

 

物事を相対的に捉えることで、気づくことあるじゃない。

 

泥沼に落ちたときに、天国の素晴らしさがわかる。

 

ということは、泥沼は天国になる。

 

Q.それに目覚めるために、私たちは来ているんでしょうか?

 

A. それに目覚めるっていうではなくて、まさに神に目覚める。

 

神からきて、神にかえる、最初から神そのものと。

 

どんなものに変身しようが。橘さんが、どんな服を着ていても、橘さん。

今日は、どんなファッションがいいかしらと。それもいいでしょ。

 

でも、パジャマ姿もいいでしょ。どんな姿もいいでしょ。どんな姿でも橘さんですよ、ということです。