到彼岸を体感できる?元々全部わかっているけど認識できない?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は12月27日です。
Q.完璧ポストやワークなどで、彼岸をわたっているということを、体感できますでしょうか?
A. 十分体感できます。体感は十分できます。
Q.彼岸は本当にすごいところだったんですね。
空の表現も実相のことをいっていると思うのですが、なにもない状態というのが原意。
インド数字ではゼロを意味する。実体として捉えるべきものがない。
物質的現象の中にあってこの空性を体得すれば、根源的主体として生きられる。
この境地は空の人生観、空観の究極と。空観の究極は、迷いもなければ、悟りもないと。
これは実相のことなのかなと。
A. 悟りを別名、わかると言ってもいい。私たちのわかるというのは、かなり後付けですよね。
元々全部わかっているんだけど、でも私たちの中の脳内の認識では理解できないわけ。
でも、宇宙の働きが働いているという事実。
それは、私たちが認める、認めない関係ない。
自分のお父さん、お母さんを認める、認めないとか、関係ないでしょ。
そのお父さん、お母さんの子であるという、事実は変えられないじゃないですか。そういう感じだね。
Q.佐藤康行の真我心経に近いような記載がありまして、
悟りもなければ、迷いもなく、悟りがなくなることもなければ、迷いがなくなることもない。
ついに、老いも死もなく、老いと死もなくなることもないというに到る。
A. それ、般若心経に書いているじゃないですか。




