カテゴリー: 真我

佐藤康行は、人は神だという絶対ぶれない前提をもっている?

ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は9月17日です。

 

Q.これで良かったも認識だということに、びっくりしました。

 

A.認識。全部認識。

 

すべて、すべて、私たちの意識は全部認識なんです。

 

Q.それは、肉体と五感があるからなんですよね。

 

A.そういうことです。真ん丸だって実は、認識なんですね。

 

ああ、真ん丸だって、それも認識なんです。

 

正しく言うなら。少なくても、三日月よりも真ん丸。

 

真ん丸って言葉があるでしょ。でも、それも本当は、認識なんです。

 

この距離だから、ああいう風に見えるんであって、近づいたら違うでしょ。

 

Q.完璧ポストのすごい気づきで、

さらに進化させていっても認識なんですね。

 

A.そう、認識なんです。だから私は前提という言葉を使うの。

 

だから、前提って言葉を使っているのに、すごく意味があるんです。

 

自分に謙虚に誠実にというのがあるわけ。

 

だから、あえて、前提って言葉を使っている。

 

月は真ん丸という前提。人は完璧だという前提をつけてる。

 

そうすると、より真実の実相に近づいてくる。

 

Q.佐藤康行も肉体があるので、認識があると思いますが、

私の気づく三日月で良かったとは違うと思うのですが。

 

A.一番違うのは、あれだと思いますよ。

 

私は、月が真ん丸だっていう、絶対的にぶれない前提をもってる。

 

人は神だという絶対ぶれない前提をもってる。

 

そういう風に本当に人と接する人は、あまり見たことない。そこが違う。