全体的に見れる能力を開発していないだけ?神鏡の法則と業を映す鏡?
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橘.最初から頂上。神、宇宙の捉え方?
佐藤康行.だって、最初から地球は丸いじゃない。
段々丸いのに気づいていくっていうのは、本当は変なんです。
最初から、丸いんです。最初から、答えがあるわけです。
私たちのその認識が、徐々に山に登っていって、丸いのかなって思うのは、私たちの捉え方。
そういう捉え方があろうがなかろうが、最初から地球は真ん丸くて、つながっているわけです。
でしょ。そこがね、あの、佐藤康行の画期的な捉え方なんです。
それは、真我でなければそういう捉え方が出来ないわけです。
あとは、皆、階段的に成長的に見ちゃう。
橘.人間は、段階的にしか見えないような構造になっているんですか。
佐藤康行.簡単に言うと、構造になっているのではなくて、開発してないと言ったほうがいい。
私たちは、すでに、そういう能力あっても、開発していないと。
例えば、私たちの潜在能力は100のうち、3%~5%しか使っていないと。
それも、ね。本当は定かではない。0.3%かもしれない。もっと小さいかもしれない。
それは、私たちの、その3%の研究者が3%と言っているだけかもしれない。
3%の能力で、3%と言っているかもしれない。
私たちは、もっと偉大なものがある。
だから、そこのところで、もうすでに、そういう全体を捉える能力はありますよということです。
でも、ここはすごく大事だね。
ここが、正に、真我ならではの画期的なところです。
だから、鏡に映る姿は、神として映す鏡か、業を映す鏡かじゃ、違うわけ。