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相手を見て感じることは、相手の実体ではない

ブログは朝(737分)にUPします。次回は4月21日(日)です。

 

 

橘.相対をひとつに受けとる、というのがoneの世界なのかと。

 

佐藤康行.両方とも、愛なの。

 

全部、愛。そこを、対比するんじゃなくて、すべてが愛。

 

愛以外のものはない。

 

橘.迷わされるのは、佐藤先生の、愛にしか神えないという目が、まだ神えていないから迷うんですね。

 

佐藤康行.その通り。

 

橘.現象面に惑わされるなと。応用編で、講師の方に現象面をどうやって見ているんですかって質問したんです。

大前提として、その現象面はない、自分の心が映ってるだけで、ない、神の命しかないと。

その現象面に、何で自分の心が波立つかのかにスポットを当てるというニュアンスの答えで。

 

佐藤康行.こうやってね、橘さんと私が居るでしょ。

 

相対と捉えることもできますね。

 

でも、もっと言うと、相対じゃない。

 

橘さんから、私を見るでしょ。

 

橘さんの目を通して、飛び込んでいくじゃない。

 

と言うことは、私はここには居ないの。橘さんから見てよ。

 

なぜならば、橘さんの脳に居るわけ。

 

目つむってごらんなさい。私、消えますから。でしょ。

 

目開けてごらんなさい。

 

橘さんの五感を通して、橘さんの脳の中にある。

 

今、私が座って居るここには居ないわけ。ね。

 

だから、橘さんが思う、佐藤康行なの。

 

それは、佐藤康行の実体と違うわけ。

 

だから、鏡に正しく写ったわけじゃない。

 

橘さんの中にある鏡に写ったわけ。

 

橘.それを受け取っても、しょうがない?

 

佐藤康行.だって、違うんだから。私じゃないんだから。