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目覚めたことによって、一瞬にポンと変わって光源になった?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

 

ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は6月5日㈰です!

 

 

Q.臨死体験をすると、光に遭遇そるというエピソードもあるようですが、

光そのものになったときは、どのような感じだったのでしょうか?

 

A.光に遭遇したというよりも、自分という光に遭遇したというならばいいです。

 

Q.自分という光に遭遇した(驚)

向こうからきたわけではないんですよね。

 

A.本当の自分にであったということ。

向こうからきたものに反射しあって、自分からも出てくる、同じです。

 

Q.佐藤康行にも、光はきたんですか?

 

A.きたというよりも、目覚めたらピントが合うね。

 

目覚めたことによって、一瞬にポンと変わって、光源になったわけ。

 

Q.トンネルを通り抜けるような体験は?

人生を回顧するとか。

 

A.記憶という映像をみたんじゃないんですか。

 

Q.この世のものではない、天国のような世界に遭遇する。

 

A.その人はそれに遭遇したんじゃないですか。

 

Q.佐藤康行には、それは見えなかったんですね。

 

A.私の遭遇した、体験したものを考えると、あまり意味のないものに感じます。

そういう天国は。

なんか、そんな感じがします。

 

Q.肉体の臨死体験も経験されているので、どうかなと。

 

A.肉体の臨死体験のほうが、全然楽だった。

全然、見ての通りですよ。

 

あれから十年たつけど(倒れられてから)なんにも変らないですよ、皆さんと。

 

Q.臨死体験の後、肉体に戻ろうと意識しなくても戻れたというエピソードも。

 

A.そういう物理的なものじゃないんです。

三次元的な感覚で。

 

その方がそう感じたからいいんですけど、そういうものとは、全然レベルが違う世界。

 

自分から出たとかさ、肉体と霊体をわけて、すごく原始的に感じるんです。

 

私には、二階の窓から飛び降りたけど、また上がってきたというレベルにしか聞こえないんです。

 

二階からと飛び降りて、ケガなかったかって。

二階に上がってきたよって。

そう、上がってきたから上がってきたんじゃないって。

そういう感じ。

 

Q.肉体の臨死体験がですね。

 

A.そう。そういう風にしか聞こえない。

 

Q.肉体の臨死体験も興味ある方が多いと思ったので。

 

A.いいんじゃないですか、入門編で。

 

Q.私は肉体の臨死体験もしかことがないので。

 

A.佐藤康行には、肉体の臨死体験の話では、無理だということです。

 

Q.存在そのもののことことを、愛、神、普遍意識などと表現しているものもあって、

視覚的には光、体感的には愛、これが一体になったもの。

 

言葉に表すのは難しいが確かにあると。

この表現はいかがですか?

 

A.私を理解するために、一般の人から私に結びつける通訳になるんじゃないですか。

いきなりハードルが高すぎるとすごさがわからないから。

 

ハードルを飛んでない人は、高いも低いもないわけです。

飛んでみて初めてわかるわけ。

 

あのハードルは高くて飛べないから、飛んだ人がすごいと思うじゃないですか。

そういう感じです。

 

私は真我で百五十冊近く、書籍も出しているわけ。

出発が違うわけ。

 

他の皆さんは最終到達地点においているでしょ。

 

私はそこから出発なわけ。一番最初なんです。

 

Q.日本には、八百万の神の思想、万物に神が宿っているんだという思想があって、

日本人はそういうことを受け入れやすいというのは?

 

A.宿っているというと、どうしても自分が主体になっているね。

 

万物は神そのものだと。

自分を含めた、生きとし生けるものは、神の顕れであると。

 

神が宿っているって言ったら、お母さんのお腹の中に、赤ちゃんが宿っているって言うでしょ。

お母さんも、お腹の赤ちゃんも命そのものなわけ。同じなわけ。

 

Q.今、佐藤康行が言っていることを、わかりやすくするために、そういう表現はあるですかね。

 

A.そう思ったら、いいんじゃないですか。

だから、最初は周りからの違和感がありましたど、今まで日本で続けてこれたのはそういうこともあると思います。