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魂の磨きがかかることを若さ?真我開発は縦のブレイクスルー?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

 

ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は23日㈭です!

 

 

Q.若さについて聞きたいのですが、神の生命の源は若さのもとなのでしょうか?

生命力と若さの関係は?

 

A.真我は年をとらないんです。

そして魂で捉えると、年齢を重ねると、摩擦によって磨きがかかるわけ。

 

磨きがかかった状態のことを若さという。

年とともに磨きがかかる、そして若くなる。

私はそのように捉えています。

 

私は間違いなく、年とともに若返っているのがわかります、自分で。

去年よりも今年のほうが若いです。

 

Q.どんなところで、若返っていると感じられるのでしょうか?

 

A.まず、柔軟で自由自在。

希望に満ちている。

限定的な捉え方がない。

無限を自覚できる。

 

だから、いつもリフレッシュ。

年とともにフレッシュになっていっている。

 

フレッシュイコール若さじゃないですか。

 

Q.何故年々、若くなっているんでしょう?

 

A.自由自在になっているからです。

 

Q.佐藤康行はもともと自由自在じゃないですか?

 

A.そんなことないです。限定だらけだったです。

 

Q.魂の臨死体験の後は?

 

A.それはもう、一挙に自由自在になりました。

その間も自由自在の道を選んできました。

 

Q.自由自在の道を選ぶというのは、どういう道でしょうか?

自由自在の道を選ぶといっても意図的じゃないんですよね?

 

A.意識的もあります。無意識的もあります。私の場合は全部です。

 

ましてや、真我に覚醒するっていうのは、一番自由自在です。

 

これはこうであらなければいけないっていうのは、牢獄の中にいるわけです。

それをやぶったときに、観自在という世界があるわけ。

物事の捉え方が自在にできる。

これは意識的にできる。

 

もうひとつは、神自在っていうのがある。

神自在っていうのは真我に目覚めたときに、これは究極の自由なわけです。

 

人間が本当は求めている究極の自分に、愛そのものに目覚めていったら、それが一番自由なわけです。

 

Q.それは、佐藤康行しかいないと思うんですよ。

私も講座で一瞬すごい境地になりますが、日常それが継続しているかというと…。

観自在を意識的にやるために、完璧ポストのワークに向かてみたり。

 

A.私はずっと自分をやぶることの人生でした。

だから、昨日まで出来なかったことを今日やる。

それが意識的です。

 

無意識的に出来たのは魂の臨死体験をしたときです。

私は、肉体の臨死体験と、心の臨死体験と、魂の臨死体験をしているから、魂の臨死体験が一番究極です。

 

その瞬間に自由自在で、この世の中にこと全部わかっちゃったという瞬間があった。

わからないことを答えるのが一番好きだし。

もうわかっちゃったから。

 

Q.魂の臨死体験の前は、意識的に自分を突破していったと?

 

A.私は自分を破れなくて、十代、二十歳ごろのとき、しょっちゅう街歩きながら悲鳴あげていました。

わーって。

 

何でこんなことに人目を気にして出来ないんだって。

それは数知れずです。

 

自分の限定的な捉え方が嫌で。

 

Q.魂の臨死体験する前までも、意識的に相当突破していかれていたと思うんですね。

 

A.ブレイクスルーね。

ブレイクスルーは、横のブレイクスルーと、縦のブレイクスルーがある。

 

横のブレイクスルーは意識的に破っていく。

 

縦のブレイクスルーは、魂の臨死体験のときに、一気にいけた。

 

Q.縦のブレイクスルーは、魂の臨死体験をしていない人は、誰もいっていないんですね。

 

A.それを、真我開発講座で、魂の臨死体験までいかなくても、体験できるように、やっているわけです。

 

Q.程度はあると思いますが、私たちが真我開発講座を受けたら、縦のブレイクスルーになっているんですね。

 

A.そうです。ある程度は。