真我からぶれる、ぶれないとは?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は9月16日㈫です!
Q.わかった、という瞬間があったのは、佐藤康行の役割がそれだから、わかったのでしょうか?
A.役割とも言えるし、わかったことが役割とも言えるし。
どちらが先でもいいわけ。
Q.どちらかというと、わかった後に役割だと気づいたんでしょうか?
A.私はたぶん、その前からわかっていたと思います。
だから、そのようにわかる方向にいったと思います。動かされて。
苦しんだのも、悲しんだのも、わかるほうにいく協力者だったと。
先ほど、快感が協力者と言ったけど、悲しみも協力者。
Q.お悩みを抱えた方とコミュニケーションをとるとき、一番気を付けていることは何ですか?
A.気をつけていることは、何もないです。
Q.真我から、ぶれないとか。
A.そんなこと、ぶれないから、気をつける必要もないし。
気をつけるような問題じゃない。
Q.佐藤康行のぶれないは、真我だというところから、ぶれないと?
A.それもピンとこないね。私が男である、人間であるというところからぶれないって、変でしょ。
だから、そういう言葉はいらないわけです。
佐藤康行に、人間であることからぶれないですねって。変でしょ。
私は、最初から人間だよって。男であることから、ぶれないですねって。反対もそうでしょ。
Q.では、ぶれないんです、というのも方便なんですか?
A.方便じゃないです。
人間であることから、ぶれないっていうじゃないですか。
私は、自分のことをサルとか犬とかって思ったこと一回もないです。
ぶれるわけがない。
Q.ある意味、私も含め、大半の人はぶれているんでしょうか?
A.知らない。百人いたら百人、千人いたら千人違うから、それは、その人の問題。
Q.でも、皆、佐藤康行がぶれないから、佐藤康行に会いにくるんですよね?
A.皆という言葉は、百人いたら百人違うから、答えられないですね。
Q.佐藤康行は面談などのときなど、気をつけていることはない。
A.気をつけているように、見えますか?
Q.ん~。相手は真我だということからぶれない、というのはあるのかなと思っていましたが、
相手は人間だというのと同じぐらいに、佐藤康行の中ではなっているので…。
A.すべてのすべてだから、この分だけ気をつけるとかいうのは、ないわけ。
二十四時間一緒にいたら、わかると思いますよ。
Q.変わらないということと、人間だから、人間心があるというのとが、わからないんですよね。
いまひとつ、そこがわからないんですよね。
A.もしわかったら、全部わかっちゃうから、質問そのものもなくなるんじゃないですか。
Q.その変わらないというところと、人間であり男であるからぶれないところと、真我という前提からぶれないというのと、同じなんですか?
A.うん。ぶれるということ自体が、真我の世界にはないことだから。
その人がそれを望んでいないのに、ぶれていることが問題じゃないですか?と。
本当は真我に覚醒するのが、一番いい生き方だとわかっているのに、ついつい欲が出たり、目の前に振り回されて。
Q.目の前のことにぶれるはありますね。
佐藤康行は目の前のことに、ぶれないんでしょうか?
A.ぶれたと思ったことはないね。
Q.それは、雲がない状態で最初から神えるからなんでしょうか?
A.そうだね。
Q.佐藤康行はそうなんだ、とわかってはいるんですが、ぶれる、ぶれないという言葉になると、何か違うもののように捉えていました。
A.小泉さんのときも、彼は絶望していたけど、そんなふうには神えなくて、最高の環境じゃないかと。
Q.三角関係でもめている状態も、皆が仲がいいと神えたり。それが、ぶれていない?
A.そうだね、そのようにしか神えない。
そのようにしか神えないものを、ぶれるとか。
たとえば、この机や手帳がぶれても、違うものには見えないでしょ。
Q.何かすっきりしました。
私には見えないんで、佐藤康行はすごいと。
でも佐藤康行には当たり前なので、私の質問が届かなかったと。
A.そうだね。