野澤さんにとって佐藤康行は、当たり前にあるようなもの?(野澤さん㉑)
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は3月18日㈯です!
A. 本家本元だからね。でも、光の世界で一回消えたでしょ。
Q.出てこなくなりましたね、あのときは。
A. そうね。それは、さらに私に近づいたときです。近づいたときに消えていった。
何が起きているのか、ということだね。
ちょっと言ってみない?
私が、触ったり、手を握ったり、見つめたりすると、そういうふうになる。
自分の中に何が起きているのか。
そして、私、佐藤康行は何者なのか。
Q.何が起きているか?
A. たとえば、闇に光が近づくと、闇は消えますよね。
まんまるがわかったときに、三日月は消えるでしょ。
Q.闇が光とかというよりは、出なかったもの、引っかかって出なかったもの。
出ないものを、一番出してくれるものみたいな。
引っかかって苦しいみたいなものが、出ると楽になる。
A. 何か引っかかっているものが、私に近づくと、浮き彫りになる感じなんですね。
Q.でも、浮き彫りになるといっても、それが何だかはわからない。
ただ、出てくるだけに。
ある意味では自分ではない。
でも、どっかであったよね、みたいな。
A. その涙は、一体、何を物語っていると思います?その涙は。
たとえば、なつかしい、うれしい、悲しいとか苦しいとか。
Q.どれも、あるような気がします。
A. どれも、あるような気がする。
Q.出てくるたびに、こういうのあったよな、みたいなのとか。
出てきたときに初めて、こういうのずっと、すぐそばにいたよなみたいな。
A. ふるさとみたいな、感じ?
Q.ある意味、原風景みたいな。ふるさと。
前回の面談では、どうしても借金のほうを見ちゃう。
借金の正体みたいな。それがいっつもあって。
それが何だかわからなくて。
出したときに、これ出したくても出せなかったなみたいな。
A. たとえば、百億の借金があったとする。
私が百億あげれば、借金は消えちゃうでしょ。
そのときに、出る涙があるじゃない。
今まで、ずっと背負っていた。
私と出会ったことで、それがチャラになっちゃう。
私には、野澤さんの涙はうれしい涙にしか神えないんですよ。
感謝と喜びの涙にしか見えない。
自分のことだから、言いづらいところもあるけど、今日ははっきり言います。
あの、何か、手を握ったときに、温かさを感じるって。
優しさを感じて、何か救われたような感じになるんじゃないかと。
百億の借金あったら、バッと返せる人。
そうなったとき、瞬間チャラに。