愛に満たされれば、全部解決する。その一点。
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は10月21日㈯です。
Q.(野澤さん)真我の引き出しについての質問です。
佐藤先生の真我開発講座、宇宙や未来をやっているときなんですが、
佐藤先生は、受講生が壁に向かってワークシートを書いている最中の背中を見ていると、
進捗状況がわかるから、講師にところに用紙を持ってきた時にはすぐわかるというお話を聞いたことがあります。
でもいくら、状況がわかるからといって、モヤモヤしている人の話をちょっと聞いただけで、
ここを掘ってみなさいとか、今のように書き方の例があるわけじゃなくて、
ここ、こういう風に書いて、ああいう風に書いてっていうのが、ポンッと返ってきて、
何で、あんな短時間で、あんな細かい指示まで何もない段階で言えるのかっていうのが。
ワークは天啓のように降りてくるって言いますよね。
でも、細かい指示のときも天啓のように降りてくるのかなと。
A. 例えばね、こういう感じ。
野澤さん、鼻にゴミついているよ。見えるじゃない。
ここにゴミついているって。そういう感じ。
Q.もうひとつは、佐藤先生に神が見えるんですかっていう質問があったときに、
見える人は誰もいないっていう返事もありますよね。
たぶん、見えているという意味が、全然違うんだと思うんですけど。
A. 違う、違う。皆が思う、見えているじゃない。
Q.違いますよね。今、鼻にゴミがついているよって。
それは、明らかに、皆が思っている、見えているという話ですよね。
もうちょっと、そこいら辺が、どういう感覚なのか。
講師継承って言っても、形になるものであれば継承できるけれども、
一番肝の部分、心の機微の部分は継承できない。
ワークなど形があるものだとできるのですが…。
私たちの見えるとはまったく違う。
A. それは、満月と三日月で言っている。満月という前提でしょ。
月は真ん丸だと三日月を見て。真ん丸という感じがするでしょ。それを神えると言っている。
真ん丸なんだから。だから、私は前提と言っている。真ん丸という前提。
Q.それを前提においたときに、あんなに細かく書き方、
ここをもっとああいうふうに書けばいい、こういうふうに書けばいいって。
あんな、細かいものまで出てくるんですか?
A. そうね。全部、わかるんだね。まあ、真我の直観力。
Q.そこが直感なんですか。
A. 全部、そうですよ。昨日も研究会で。あれ、全部、そうですよ。
全部、準備やなんか、ないでしょ。
準備しなくても、何をどうしていいか、わかる。
Q2.それを佐藤先生だけができるんですよね、と言うと決めつけになると思いますが。
お話を聞いていて、そうなんだな、と頭では理解できるんですが、
それをやろうとなると、何をどうしていいかわからないです。(橘)
A. そうね。だから、もう、場数しかないんだろうね。
Q.場数なんですか。
A. 例えば、サッカーの選手がボール飛んできたときに、
後ろに目があるんじゃないかと思うようなプレーするときあるでしょ。
そういうのに近いかもしれない。
場数によってわかる。
相手が何かしゃべりだした瞬間に、もう、答えが出ている。
だから、よくじれったいなと思うことありますよ。
そんなにしゃべらなくても、わかるのになって。
もう、答えは決まっているわけです。
答えは、愛を求める叫びなの。もう、決まっているという前提なの。
野澤君がいろいろなるのも、愛に満たされれば、全部解決するの。
全部、愛に満たされれば。その一点です。
もう、結論は決まっているのよ。
方法論と結論は決まっている。
そのための方法論なの。愛に目覚めることなの。
全部、愛なの。
私と手を握って。それも何か愛を感じるから泣き出すわけです。そういうことです。