満月前提で捉える修行?孤独は真我を実感したい非常ベル?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は11月26日㈰です。
Q2.神通力、テレパシー、超能力、満月回峰など、
セミナ―の頭文字がいろいろあるんですが、違いはありますか?
A. 基本は、同じ。神が通じる力。
神が通じる力というのは、満月があるでしょ。
三日月を見るでしょ。
三日月を見たら、三日月が固定化されるわけ。
でも満月なわけ、真ん丸なわけ。
そうしたら、三日月が消える。
これが神通力なの。
そして、そのまんま、向こうの満月を見て、相手に伝えたときに、これが真我のテレパシー。
ピッと。
そして、満月がこちらに同じように映ってきて、大満月同士になるわけ。
そして、今まで起きたことがないことが起きるわけ。
認識の世界でね。
それが、超能力なわけ。
真我の超能力。
全部、それで、できるわけ。
すべて、神が通じる力。
これが、満月の大調和なわけ。
Q2.回峰って修行のようなことらしいですが、なぜ回峰?
A. 百日回峰、千日回峰をもじってやっている。
普通、今までは修行のようなことをやったでしょ。
でも、修行じゃないんですよ。
真ん丸ということを完全にそのような前提で捉えるようになる。
あえて修行って言ったら、それが修行です。
すべて、満月で捉えられるようになる。
Q2.それが修行ですね。
A. そう。
Q2.孤独について質問です。
ある本に、人間は巨大なマンモスを一人で獲れなかったために、群れなければならなかったから、群れから離れたときに、孤独を感じるようになっている、と書いてありました。
どうも、生き延びるために、孤独は必要だったと書いていたんです。
A. 孤独では、生きていけない可能性があるから、孤独感を感じるようになっている。
それは、恐怖感と同じで、必要なわけです。
孤独感があることによって、人の大切さがわかってくるわけ。
孤独でって皆言っていたけど、あれは仲間がほしいんですと、愛する人が欲しいんですと言っている。
Q2.心が通じ合っていない関係だったかもしれませんが、誰かと一緒にいても孤独だって言っていましたね。
A. それは、真我、満月で全部、解決できるわけ。
人込みの中でも孤独、心が通じ合えなったら孤独なわけです。
だから、人がいるかいないか、関係ないわけです。
満月だと、人がいようがいまいが、全部、孤独じゃなくなる。
山の中で一人でも、蝉の鳴き声、鳥の鳴き声、全部、皆にぎやかで、孤独じゃないわけ。
Q2.勉強会のときに、皆、孤独がキーワードに上がったのは、何ででしょう?
A. 今、現代社会の、物があふれ、金があふれ、社会に人があふれ、科学や、インターネットや、いろんなものがあふれている。
でも、孤独だと。
彼らは、そんなことじゃないよと言っている。
家庭があっても孤独ということもあるわけ。
職場に人がいっぱいいても孤独なわけ。
孤独感は恐怖感と同じで、そのままじゃ危険ですよということを、信号を鳴らしているわけ。
Q2.そうですね。孤独、キツイんですよね。
A. 孤独じゃなくて、皆、愛するようになれば、孤独は消える。
皆、愛する力、真我を求めているだけなの。
真我を実感したいって言っているのよ、あれは。
そしたら、孤独は、その場から消えるわけ。
Q2.先ほど、野澤さんも言っていましたが、蓋がとれるまで…
A. 蓋なんかないんです。それを固定化しちゃっているから。
それを薄くしたり、厚くしたりしている。
それは三日月だから、それを細くしたり、太くしたりしているのと同じで、まったくナンセンスなの。
あえて、私は、比喩で言っているだけなの。あくまでも比喩。
三日月は見えますよねっていう比喩なわけ。
比喩だけど、あなたに見えるでしょって。
あなたの心の中にマンホールの蓋のようなもの、ありますよねって。比喩で言っている。
あくまでも、そこを開けるっていうとわかりやすいじゃないですか。
Q2.わかりやすいです。
A. ないものでも、三日月は見えるから、あっちを見てくださいって、指を指すことはできるわけ。
そういう感じ。
Q2.苦しい方が、それがとれるきっかけになればいいなと思って。
A. 今、私が言ったことを、その方たちに伝えてください。
私の通訳になってもらえたら、こんなうれしいことはない。
私まで通訳やっちゃうと。私はいくところまでいったほうがいいわけ。