自分を一切ゼロにしてでも、神に合わせるのか
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は11月25日(日)です。
橘.感謝が頭でわかるのと、命でわかるのとは違うと、以前佐藤先生がおっしゃられて。
命でわかるとはどういうことでしょうか?
佐藤康行.命でわかるとは、自分が本当に死ぬ思いをしたときに、手をさしのべてくれて、
助けてくれた人っていうのは、それは頭じゃないよね。
命が救われた、明らかに、それがわかったときに、頭で感謝するんじゃないでしょ。
それを感じるでもないし。そういう感じだろうね。
橘.命でわかるのは、五感を超えたところの感謝?
佐藤康行.そうだろうね。五感ではない。命も肉体の命じゃなくて、まさに、真我、神の命でわかる。
肉体の命を超した世界。
肉体を超した、その世界の命が完全にわかったときに、たとえ死んでもっていう風に、なってくるんじゃない?
橘.佐藤先生のもとに、いろいろな状況や、メッセージがくるようになったのは、わかりました、あなたの言う通りにしますと言った後から、来るようになったのでしょうか?
佐藤康行.その前から、いっぱい来てたね。次から次へ来てて。
それでも、私が、わかろうと、そこにチャンネルを合わせきれなかったから、三次元的なことがいっぱい来る。
わかりましたっていうのは、チャンネルを合わせるということ。
神からのメッセージに合わせると。
今も、それをやろうとしている。
わかりました、あなたの言う通りにしますって。
これ、メッセージなの。
それに合わせますと。
今、ビジネスでマーケティングってあるじゃないですか。
マーケティングして、お客様のニーズに合わせるか、自分の売りたいもの売るのか、それは勝ち負け、明白でしょ。
それの神版だと思ったらいい。
自分のやりたいことで神に合わせるか、自分を一切ゼロにしてでも、神に合わせるのか。