神えることについて
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は12月13日(木)です。
佐藤康行.霊体の人のほうが、囚われがないぶん。
この三次元の、人がどう見ている、認められたいとか、もっとおいしいもの食べたいとかいうのがないから、シュッと通じるわけ。
橘.佐藤先生は、霊体の人に通じたっていうことを、感じるのですか?
佐藤康行.感じるというより、神えるって言ったほうがいいね。
今もこうやって、神えたことを話している。
神えるっていうのは、この肉眼でもないし、過去のいろんな体験のものでもないし。
橘.画像で神えるものではないのですか?
佐藤康行.画像ではない。もう、言葉として、出てくる。自然と。
橘.言葉として出てくるから、神えているのがわかる?
佐藤康行.言葉として出なくても、神えているわけ。
それを言葉化したときに、初めて人がそれを見て、何でそんなことが、わかるのだろうってなるんで。
実はその前に神えている。
今も、それを聞いてくれるから、話している。
橘.言葉化していなくて、神えているときは、佐藤先生の中では、どういうことが行われているのですか?
佐藤康行.特に、寝ている、朝方に神えるのが出てくることが多いし、当たる確率が、スピードアップしているのがわかるね。
橘.当たる確率とは?
佐藤康行.当たる確率と言いながら、当たる確率を変えるのも仕事なの。
より良きものというか。
その両面やっているわけ。
スーと自然になったとき、こういうの、浮かぶの。
それを変えることもやっているわけ。
だから、当たる確率が上がりながら、当たる確率を変えている。
橘.その当たる確率を変えるのも、満月で神る、なんですよね?
佐藤康行.満月と三日月なら、三日月の形は見えるけど、満月という前提でやると、
三日月の形が変わるというか、消えていく。そういう感じ。
橘.言葉で聞くと、なるほど、と思いますが、佐藤先生の満月で神ているが、私には、どのような感じなのか、よくわかりません。
佐藤康行.だろうね。