自分の中の神の心を認めなければ、それは現れない
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は3月25日(月)です。
橘.ある本に、健康がありがたいのではなくて、健康を現すような実相を、自分がもっていることがありがたいと書いてあったんですが、
感謝とは、実相に感謝するということなのでしょうか?
佐藤康行.実相と真我は同じと思ったらいい。
でも、わからないですよね。
自分の中にある、神の心、仏の心、宇宙の心があって、それを認めなきゃそれは現れないわけ。
自分にありがとう、周りの人にありがとう、すべてのありがとうという気持ちになったときに、
ありがとうって、受け止めたっていう証拠でもあるわけ。
そういうことです。
橘.他の表現で、自分と神とが一体であることのありがたさにならなければ、本当ではないと書いているものもありまして、これはいかがでしょうか?
佐藤康行.その一体というのをどうやって感じるか、ですね。
頭で感じたってそれは一体じゃない。
本当に一体になったら、まさに、自分が透明になっていくっていうか。
まさに、神そのものだと。
一体というよりも、もともと一体だと。
もともと一体であることに気づくことであって。
一体になるんじゃないんです。
皆さんが、人間になる努力いらないでしょ。
だって、人間だから。それと同じ。
男である努力、女である努力いらないでしょ。
もともと、男であり、もともと女だから。
そういうことです。
その表現が、かなり大事なところです。