実相は人間が絶対見えない世界であり、思い描く世界でもない
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は12月31日(月)です。
橘.人間は、肉体であるという現象世界に目をつむれ。そして彼方の世界へ渡ることだ。
そして、実相世界を我が物とすることである。
彼方を今、こことすること。
天が、人間観のコペルニクス的転換をすること、これが真のくいあらためだであると。
真のくいあたらめ、とは何でしょう?
佐藤康行.それは、真我に目覚めることであり、真我イコール実相だと思ったらいい。
だから、それはまだ、自分の頭の世界になっているでしょ。
頭の世界でくいあらためて、こうしなさいと。
だけど、真我に覚醒したら、そういう、くいあらためるとか、
こうしよう、ああしようっていうのは全部飛んじゃって、そこに気づくでしょ。
言わんとしていることは同じだけど、まったく違うと。
似て非なるものだと。
それを本当に体感させているわけ。ここではですね。
橘.確認ですが、教えだから、真逆だと?
佐藤康行.我いま五感の世界を去って、実相の世界にいるって言っても、今度は想像の世界になってしまう。
だから、実相の世界を、本当に体感できるはずだと。
私も少なくとも体感したから。
手を合わせて、そういうイメージをすることではない。
月を真ん丸だということを、三日月の段階で想像することではない。
月は常に、真ん丸で、大きな球体で、これは人間が絶対見えない世界だし、思い描く世界でもない。
そうなんだから。それが実の姿なんだから。
どこまで、そうやって、円満を描いたとしても、やっぱり、想像の円満になるわけ。
橘.想像の円満なんですけど、実相世界とか、彼方に渡るとか、ここを彼方にするとかは、なぜわかったのでしょうか?
佐藤康行.やっぱり、そういうものをもっている方。
日本にも過去たくさんいたでしょ。
それが正しいかどうかは別として、いろいろインスピレーションで、
神的な捉え方でっていう方は、いっぱい、いらっしゃったと思います。
橘.佐藤先生は、真我を体感させることをやっているところが違う?
佐藤康行.そうね。