愛と感謝の意味
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は5月3日(金)です。
橘.相手が素晴らしいとわかるということは、自分にも同じものがあるからわかるということで。
佐藤康行.同じものがあるから。
橘.自分が真我だとスタートすれば、相手も真我だから。
佐藤康行.この料理を、美味しいなとわかるのは、美味しいという味覚があるから、
それを味わえる味覚があるから。
その味覚がなければ、感じないわけ。
まず、これが一つ目。
しかし、しかし、味覚は人間が作った味覚じゃないわけ。
神が与えてくれた味覚なの。
神が与えてくれた、前提の味覚にすると、その味わいが違うわけ。
橘.そこの意識が違うんですね。相手を見るときの。
佐藤康行.そうです。
美味しいと思うのも、まずいと思うのも、感謝というところでは、全部同じになるわけ。
牛丼出してくれたら、こんなものって。
ビフテキ出してくれたら、ありがとうございますって。
自分の中にあるものってなると、そういう風になっちゃう可能性あるわけ。
でも、神が与えてくれた部分で、相手の心が与えてくれたって。
牛丼を出してくれても、ビフテキ出してくれても、同じ神の食料であって、神の私が、神の食料を食べたって。
ありがとうございますっていう心になるわけ。
だから、愛と感謝ってそういうことなの。
いいものくれたから、感謝するとか、そうじゃないもの来たら、ケチなすとか。
そういう世界じゃないわけ。