すべて神という前提をわかって、向かっていく
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は5月18日(土)です。
橘.自分を知ることがすべてだと、真我に目覚めていない自分も見ているのかなと。
そこで、気づいていく過程で、真我に近づいていっているのかなって。
佐藤康行.真我に近づくってことではない。
なぜなら、真我だから。人間に近づくとは言わないでしょ。人間なのに。それと同じ。
私は、段々と、人間に近づいていくと言わないね。
私は、だんだん、女に近づいていくとも言わないね。
女であり、人間だから。
それを出発点にするのか、人間に近づくのを終着点にするのかでは、えらい違い。
橘.行き着くところが、どこなのかはわからない。
とにかく、自分自身を受け入れていないということは、気づきました。
心の学校にきて、今は自分の心の掃除中という感じで、チラッと自分を嫌いな自分も出てきて、まだあるなというのはあります。
佐藤康行.そこが、大事なところだね。
そこが、うちの課題だね。
出発を神からすることは、大変難しいこと。
そこを、わかってから出発するのと、どこに行くかわからないで、出発するのと違うでしょ。
そこなんです。
神から出発するなんて、あり得ない。
神を一回でも体感し、真我を体感してから、向かっていく。
神せてから、向かっていく。
ゴールを知らなければ、向かっていけないでしょ。
橘.そうですね。今、お話聞いていて、お互いに向き合って、気づくところは真我の目覚め、
かもしれないんですが、まだ、神てはいないと思いました。
佐藤康行.そこなんです。わかりました?
橘.良かったです。
佐藤康行.私は、大変、魅力的な女性だ、すばらしい女性だってわかってから、
私は、まだそこまでの意識にいっていないのに、やるのと、そこを一回でもやったのでは違うでしょ。
私は魅力あるのか、ないのか、わからない。本当に、女かしらってやってて向かって行くのと、違うでしょ。
そこの違い。