究極の一か所に留まっているのと、一か所に留まらないとの同じ?
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は7月14日(火)です。
Q.佐藤先生が、一か所に留まらないというお話しも出てきたんですね。
佐藤康行.一か所に留まらないけど、究極の一か所にいる。その一か所から、変えていないんです。
Q.究極の一か所に留まっているのに、一か所に留まらないと表現されているのは、なぜでしょう?
佐藤康行.それは、相手がいるから。相手がいるから、留まらない。
留まらないっていうのは、これボールペンでしょ。
これマジックですって。シャープペンですって。どちらでもないでしょ。
どっちかに留まらないじゃない。でしょ。
マジックでもない、シャーペンでもない、そこには留まらない。
いつでも最初からボールペン。
でもその人はマジックって思っている。
でも、その中で生きていっているわけ。
みんな、それぞれ、七十億人いたら、七十億通りの考え方がある中に、私はいるわけ。肉体持って。
Q.それを一か所に留まらないって表現している?
佐藤康行.あの人と、こういうやりとりをしている。
シャーペンとボールペン、マジックとボールペン、どう違うんだって。
会話が違うでしょ。
だから、留まっていないわけ。
その人によって方便を変えている。合わせてやっているわけ。
書いてみて、シャーペンとボールペンは違うでしょって。
だから、そこには留まっていない。そういうことです。
Q.究極の一か所にいるというのと、方便で一か所に留まっていないということは、同じことですか?
佐藤康行.同じ。病気で統合失調症もあるし、うつ病もあるし、パニック障害もあるしって思っている。
でも、そんなものはないと。
でも、わかってほしい、私はこんなふうに苦しいと。
わかってあげなきゃ、その人はもう来ないでしょ。
わかってあげることによって、次につながる。