常に一過程であることを、念頭におく
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は5月28日(金)です。
太陽のカウンセリングなんかでも、心が変わっていくのを、皆さん体験しているでしょ。
絶対変わらないのはこの神だけ。真我だけ。
これは絶対不動で、変わらない。
周りは全て変わる。変化する。
形がないから、ないものは変化いくらでもできるわけ。まあ、そういう意味ですね。
「ない、ない、ない」ってのは、周りのこの全ては無いといっている意味。
あるのは神ですから。まあ、そういうことの意味です。
はい、せっかく来たんですから、今度は皆さんの何か質問を受けたいと思います。
何なりと質問してください。
(質問者)
内観光受について。未来とか宇宙で掘ったことない人でも、内観光受はできるのか。
(佐藤康行)
「できるんでしょうか、できないんでしょうか」って、1番分かるのは自分ですよね。
だから、できますよとも、できませんよとも言えないわけ。
自分がやってみて「ああ、まだ無理だな」と思ったら、もっと訓練してやれるようになればいい。
だから、一過程。
ここにいらっしゃっているのも、一過程だと。常に一過程。
例えば電車に乗っているでしょ。
「表にある景色はどんな景色でしょうか」っていうのは、変でしょ。
もう変わっているんだから。1分後にはもう変わっている。
だから、見た景色が自分の景色なの。
「ああ、こういう景色を今見てるんだ」と。
この、次元を上げていくのもそうです。
グーッと上に上がって、エレベーターで上がっていくと見る景色が変わるじゃないですか。
上に上がれば。その見えたものが自分の視界に飛び込んできて、自分が捉えられるようになる。
まあ簡単にいうと、そういうことです。
自分がそこまでできたら、「ああ、自分ができるようになったんだな」と、そう捉える。
その一過程だと思って。はい。