極致の認識を越していなければ、極致の認識は観れない?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.佐藤康行の光と自分の光では違うんじゃないかと。
相手を絶対的に神、完璧からぶれないということが、なかなかできないので。
佐藤康行は黒星を出されても、相手にはしていないんですよね。相手にしたふりはするけど。
A.基本的にはね。
Q.黒星の奥に神が観えるのか、黒星が神に観えるのか、どうでしょう?
A.黒星を夢と思ったらどうですか。夢は覚めると消えるでしょ。
黒星がきっかけで夢から覚める。怖い夢を見れば見るほど、目が覚めやすいみたいなもの。
火事になったら家から飛び出しやすくなるでしょ。より早く飛び出すでしょ。
Q.以前のお話の中で、受講中お母さんの気持ちが出てきて、私のことは許す必要がない、あなたが救われるならという事例がありました。
それに対して、佐藤康行は、それはお母さんの究極の愛だと。
自分を大悪党にしても、子どもが救われればいいという、究極の愛と翻訳されていました。
A.お母さんを悪党と見て、お母さんの愛を知ったわけです。
Q.黒星と真我の話でその事例を見ると、全部真我なんでしょうか?
A.真我から観たという世界だね。認識ですよ。極致の認識。
Q.極致の認識は、その奥の神から観ているのか、極致の認識から観ているのか。
A.極致の認識が観えるということは、それを越していなければ観えないでしょうね。