日別アーカイブ: 2015年9月1日

極致の認識を越していなければ、極致の認識は観れない?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.佐藤康行の光と自分の光では違うんじゃないかと。

相手を絶対的に神、完璧からぶれないということが、なかなかできないので。

佐藤康行は黒星を出されても、相手にはしていないんですよね。相手にしたふりはするけど。

 

A.基本的にはね。

 

Q.黒星の奥に神が観えるのか、黒星が神に観えるのか、どうでしょう?

 

A.黒星を夢と思ったらどうですか。夢は覚めると消えるでしょ。

黒星がきっかけで夢から覚める。怖い夢を見れば見るほど、目が覚めやすいみたいなもの。

火事になったら家から飛び出しやすくなるでしょ。より早く飛び出すでしょ。

 

Q.以前のお話の中で、受講中お母さんの気持ちが出てきて、私のことは許す必要がない、あなたが救われるならという事例がありました。

それに対して、佐藤康行は、それはお母さんの究極の愛だと。

自分を大悪党にしても、子どもが救われればいいという、究極の愛と翻訳されていました。

 

A.お母さんを悪党と見て、お母さんの愛を知ったわけです。

 

Q.黒星と真我の話でその事例を見ると、全部真我なんでしょうか?

 

A.真我から観たという世界だね。認識ですよ。極致の認識。

 

Q.極致の認識は、その奥の神から観ているのか、極致の認識から観ているのか。

 

A.極致の認識が観えるということは、それを越していなければ観えないでしょうね。