キリストとの対話⑨ 右の頬をぶたれたら、左の頬を出しなさい?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.右の頬をぶたれたら、左の頬を出しなさい、はどのように解釈したらいいでしょうか。
A.それくらい許しなさいということでしょう。
Q.でも、もう許されているんですよね。許している自分に気づく?
A.自分を愛してくれる人は、なぐれないんです。
自分のこと、わかってくれて愛してくれる人には、手を出せないんです。
手を出されて、右の頬を殴られたことによって、気づきが得られる。
そういうことで、相手は救われてくる。
左の頬を殴られたことによって、また違う気づきを得られる。
相手の救われ方も違う。
「瞬時に許せられる心を学びましょうと。許せる心がもっとも尊いんでしょと。」
殴っている人より、殴られているほうが、多くの学びがあるんですよと。魂でいうと。
叱られたら、もう叱らないでくれと願うんじゃなくて、もっと私のことを叱ってくださいと。
叱られることによって、学びがあるでしょ。
その人にとって、遥か長い年月において、確かなものになってくる可能性がある。
それを改善していったら、山中鹿之助が「天よ、我に艱難辛苦を与えたまえ」ってそういう言葉があるんです。
あらゆる苦しみや苦労を私に与えてくださいと。私に試練を与えてくださいと。
「 試練があって、立ち向かえば、立ち向かうほど、大きな偉大なる私になるんです。 」
スポーツ選手、皆そうじゃない。苦しみを与えて強くなる。だから、財産なんです。
Q.なるほど。でも、私は、試練嫌だと思う自分のほうが強いです。
A.会社でいうと、いろんな苦情を聞いて、苦情を改善する会社は伸びますよ。
戦争は皆そうじゃない。ちょっとしたきっかけで、やったら、やりかえすぞ、となるとそっから暴発しちゃう可能性がある。
やられても、人間だから、そういうことあるんだなと。
「相手を許す心から会話をしていって、もしかしたら、自分から何か殴られること、していたかもしれない。」
心の世界では、実は、殴られるほうが先に手を出していたかもしれない。
殴りたくなるほど、この人を追い詰めたと。
だから、心の世界では、どっちが先に殴ったかわからないんです。