キリストとの対話⑮自我を捨て、自分の十字架を負いついていく?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.誰でも、私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、ついてきなさいと。
自分を捨てるのに、自分の十字架を背負いとはどういうことでしょうか。
A.自分を捨ては、自分の我のことじゃないですか。
私は、あなたを真我に目覚めさせてみせると。私の旗のもとについてきなさいと。
そこに我が出てくるわけ。俺はあっちのほうがいいやって、景色見てこっちがいいなって。
目の前の欲求や欲望に振り回されちゃう。
その旗の「 添乗員についていけない心が出てくるっていうのが十字架だと思ったらいい。 」
Q.その自我が出ながらもついていくと。
A.「 足を引きずりながらも、行きたくないなと思ってもついていってるわけ。 」
そういう心が出てきたときに、疑いの心とかさ。自我のほうを優先にしちゃうとか。
それを十字架だと思ったらいい。