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キリストとの対話⑭自分を神と思えないのは人間と思えないのと一緒?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

 

Q.父の家には多くの館がある。館とは意識の程度。

聖なるものを表現する最大の障害は、自己内在のキリストに対する無智であるという言葉も。

 

A.館を意識の程度といっているなら、アセンションのことでしょうね。

 

「一番上の真我に目覚めたら、一番下から一挙に一番上までいくことが可能なんです。」

段階を踏まないことも可能なんです。

 

Q.聖なるものを表現する最大の障害は、自己内在のキリストに対する無智だと。

 

A.無智の智は何かということだね。何の智恵なのか。

 

人間の智恵なのか、神の智恵なのか。

 

人間の浅智恵というのもある。詐欺師の浅智恵っていうのもある。

何の智恵なのかによって違ってくる。

 

Q.ここで言っている無智は、人間の智恵ですね。

 

A.人間を主体においているんです。神を主体においてない。

 

Q.神が主体とは思えない自分がいるんですが。

 

A.私は人間とは思えません。女性と思えませんと言っているのと同じ。

 

Q.神とは思えないというのが、人間とは思えないというのと同じレベルなんですね。