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キリストとの対話② 隣人を愛する?はじめに言葉があった?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.隣人を自分のように愛しなさい、という聖書の言葉がありますが。

 

A.隣人を自分のように愛しなさいではなくて、隣人を自分のように愛している自分に気づくということです。

 

Q.(絶句)それが違いますね。

 

A.違う。愛しなさいっていったら、愛していないって言っているのと同じ。

愛していないから、頑張って愛しなさいと言っているのと同じ。それは、我なんです。

 

Q.はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった、言葉は神であったという言葉は?

 

A.その「言葉」を、あえて味方になって言うと、「言葉は法則」だと。

 

Q.言葉は法則?まったくわからないんですが。

 

A.この世に現れて見えるものは全部、言葉だと。

 

Q.えっ(驚)そうなんですか?まったくわからないんですが。

 

A.創造主って言うじゃない。創造は言葉なの。

 

Q.?

 

A.実は、心に思うことも言葉なわけ。

 

Q.それは、何となくわかります。

 

A.心の中を言葉にしてくださいって言われたら、ある程度書けるでしょ。

 

Q.はい。

 

A.そういうことです。心は言葉なの。もっと言うと、その奥にある真我も、実は言葉なの。

 

Q.えっ。そうなんですか。

 

A.自分の心に思う言葉は、書き換えられる言葉なの。俺のことわかってくれって怒鳴り散らしているでしょ。

あなたが好きなんだと言っているのと同じなわけ。だから、わかってくれって怒っているわけ。

好きな人にわかってほしいというのがあるわけ。だから、わかってくれないから怒っているわけ。そういう感じ。