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三日月を思いっきり悩むことによって、満月という真理を求める?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.今回、まだバチッと落ちたわけではないのですが、弟のことが、宇宙全体の同時決定で決まったことなんだ、という認識はもちろんなかったわけで。

かなり観の転換が起こりました。今までの質問は、黒星を掘るというテーマで聞きました。

 

A.自分のことを三日月と思って悩んでいる人がいるでしょ。思いっきり、三日月を悩みなさいと。

三日月である、欠けているということを、悩めば悩みほど、満月という真理を求めるでしょ。

ということは、それが満月に見えるまで待っているじゃない。満月の状態が顕れてくるまで待っている。

でも、そうじゃない人は、三日月のままで諦めて行っちゃうかもしれない。

だから、三日月を思いっきり悩みなさいと。

もう満月なんだから、満月をキャッチするしかなくなるから。最初から、満月だから。

 

Q.こういう風になろうという目的があって、でも目的が達せられなくて、

三日月だなと思って諦めてしまうパターンもあると思います。

 

A.真我開発講座は、私が今言った通りでしょ。どんなに悩んでいても、無かったって。

愛だけだって気がつくでしょ。同じじゃない。それを、ちゃんとやっているじゃないですか。

 

Q.では、三日月を悩むだけ、悩みなさいっていうのは。

 

A.どうぞ、お好きにですね。悩んでもいいし、悩まなくてもいいし。

 

Q.何か解決したかったら、悩んだほうがいいと。

 

A.悩んだほうが、満月に顕れるまで待とうという気持ちが出てきたり、目をこすって、なんとか満月を見ようとするでしょ。

満月を想像することもできるし、悩まない人は、そのまま目を背けてそっちを見ないようにするかもしれない。