真我をすぐ人に伝えようと思ったのですか? 仏教の実践について。
Q.佐藤康行が全体がわかったとき、人に伝えようとすぐ思ったのですか?
A.伝えるっていうよりね、言葉がどんどん溢れて出てきたんです。
最初に出てきたのは、成功と幸福を呼ぶ言葉なんですけど、ああいうのを読んでいると、皆ね、泣き出す人が出てきたり、蘇る人が出てくるわけです。
これ、すごいんだ、と思って、やってるうちに、そのうち、いろんな講演にも呼ばれて、そこで使ったりすると、また、次から次へと出てくるんです。
これは、俺、毎日1冊の本が出せるな、と思うくらいに溢れ出てきたんです。
だから、それは、もったいないじゃないですか。皆が救われるものが、自分の中に閉じ込めていたら。
だから、それを、そのまんま、それを出しているだけなんです。出したら、全部通用するわけなんです。
会う人、会う人、皆に通用するわけ。これは、ただ事じゃないなと。それが、20数年、30年近く、続いているわけです。
Q.仏教の実践に「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」があります。
もろもろの悪いことをしてはいけません。もろもろの善いことをしなさい。
自らのその心を浄くしなさい。これがもろもろの仏の教えです。と言われています。
A.悪いことしちゃいけませんっていうけど、例えば、動物は生きていくために、他の動物のえさを盗んで、子どもに食べさせたりしていますよね。
それが、本当に悪いことなのかって、まずね、1回ね、クエッションで考えてみてください。
人を殺してはいけませんって言うけど、昔、戦争で人を殺すことを礼賛してましたよね。殺さないって言ったら、非国民って言われた時代もありましたね。
人間の知識の善悪はいいかげんだと。人間の自己都合でやっているんだから。だから、頼れるのは真我しかないということなんです。
真我に目覚めていった時に誰しもが同じ答えであると。真我は。でも、人間がつくった善悪ってのは、全然ね、違うわけ。自己都合なわけです。
だから、その自己都合に振り回されたら、わけわかんなくなっちゃう。裁いている人が、実は、ちょっと一昔前だったら、反対だったかもしれない。違っているかもしれない。
だから、仏教にも、「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや」という言葉があるでしょ。善人でも救われるのに、悪人が救われないわけがないって。
これは、仏教のかなり中心になる教えです。だから、要するに、人間が正しいと思って、相手を裁いているうちは、それが問題だということなんですよね。
だから、そんな、当てにならないってことなんです。人間の言う善悪って言うのは。だから、もう、真我しかないわけなんです。