真理は具体的ではない? 神の観自在と横の世界の観自在?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
『存在そのものの世界を現代に活かす』
そのことの証明を、6月13日㈯光が丘にて、佐藤康行本人と実証者が現します。
会場にて、お待ちしております。
Q.ブログに書いてある答えが、抽象的でわからないというお声もあるのですが。
A. 真理が具体的なわけないじゃないですか。
実相も具体的でないから実相なんです。
具体的なものは営業やクリニック本などで著しています。
Q.佐藤康行の発言で、私は光在を垣間見た、
一瞬で全部わかったという瞬間があったと。
その時に、真理に気づかなければ、人類は救われないということを同時にわかった、という感じですか?
A. そういう感じだね。
Q.般若心経の奥に見えないものが見える。
その見えたものを、佐藤康行はどのように感じたのでしょうか?
A. なかなか口では説明できないね。
般若心経が、トロトロトロって溶けてきて、その奥に神が見えた。
見えたって言い方もできるし、感じたっていうとらえ方もできるし。
だから、五感でとらえる、六感でとらえるって。その先は、、
Q.その先は、、
A. 見えたとか、感じられたとか。普通の人間の言葉にはないですね。
だから、私は見えたと。この見えたじゃなくて、何か新しい漢字がないかね。
Q.観自在の観るを、観えたと書くことも
A. 神の観自在そう言ったほうがいいかもしれないね。
Q.神の観自在というと、実相の世界から見ると、認識の世界は全部見えちゃうと。
自由自在で、何でもできてしまうというのも、あ、そうだなと思うんですが、
般若心経の奥に見えたものは、実相なのかどうか、、
A. 神の観自在でいいと思います。一言で言うと。
Q.神の観自在っていうのは、神眼で見ると同じですか?
A. 言おうとしていることは同じこと。
普通の観自在っていうのは、横の法則なんです。
物事をとらえ方を自在に変えられるんですよ。自在にできるんですよ。
神の観自在っていうのは、物事の奥に神を見た時に、自動的に変わっていく世界。
普通の自在の世界が、自動的に神の世界に消されて消えていくっていったほうがいいかな。
消されて消えてきて、よみがえってくる。まるで病気が消されて、新しい皮膚が再生する。
それならわかりやすいでしょ。