日別アーカイブ: 2015年6月16日

久遠とは? 久遠を手の平にのせられた感じ?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.久遠という言葉について。

永遠と無限を一つにしたときに、久遠っていう言葉が出るっていうのは。

 

A. 永遠はある程度時間を指してるって捉え方できるでしょ。

無限っていうのは、この空間的な部分で、無意識に捉えている部分があるんじゃないですか。

永遠と無限と縦、横すべて八方の無限を久遠と言っている。

すべてのすべてを含んだ永遠、無限を久遠としている。

 

Q.久遠の今は神、それを捉えられる?

 

A. その捉えられるは、私たちが思う捉えるじゃないね。間違いなく。

私たち思う、捉えれるではとらえきれていないわけです。

それも、何か、新たな言葉が必要だよね。受け入れられる。

すべてが、何か、手の平にのっかっちゃう感じなんです。そういう感じなんです。

 

Q.のせれるのは、宇宙の営みまでですか?

 

A. わかっちゃった、見えちゃったっていうのは、どこまでいっても、見えない世界が観えちゃった。

どこまでいっても、捉えられない世界が捉えられた。なんか、そんな感じだね。

 

Q.そのほうが、私にはわかりやすいです。

それだから、手の平にのせられている感じなんですかね。

 

A. だから、銀河系には2000億の星があるって、言われているでしょ。

銀河系。2000億ですよ。その銀河系が宇宙に何十億ってある。

まさに、無限というべきものですね。それがわかっちゃったというか。

捉えられるようになっちゃった感じだね。手の平にのったっていうか。

 

Q.太陽にも生物がいるかもしれない、というのも、見ようと思えば見れますか?

手の平にのせられるというと、わかるのかなと。

 

A. あの、見る必要がないのかもしれない。意味のないことです。見る必要性がない。

今、出せって言われたら、ある程度はいくつか出せるかもしれないけど、

全部じゃないから正しくないわけです。今、ここで言葉で出せるかもしれない。

ある程度説明もできるかもしれないけど、意味のないことです。